子どもが夏風邪を引いた。
1歳6ヶ月の息子にとって、生まれてはじめての高熱。彼は頬を赤くほてらせながらも、さして普段と変わらない様子で積み木遊びに勤しんでいた。
むしろ母親である私の方が狼狽し、買い置きしていた赤ちゃん用イオン水を飲ませたり、かかりつけの病院へ電話をしたりと忙しない。
なにせ、はじめての子どもだ。育児書というマニュアルで発熱時の対応も予習していたが、実践でスムーズに動けるかは別の話である。

息子の薬を用意しながら思い出す、鼻の粘膜にまとわりつく薬品の匂い

「1日3回、毎食後に飲ませてください。抗生物質と鼻水の薬です」
処方されたのは、薄桃色のこな薬だった。いちご味らしい。抗生物質が苦いから風味程度ですけどね、と感じのいい薬剤師さんが言っていた。
小皿にヨーグルトをふたさじほど盛り、こな薬を混ぜる。白からピンクへ。色の移り変わりを眺めていると、記憶の底から忘れられない匂いが浮かび上がってきた。鼻の奥の粘膜にまとわりつく、薬品の匂い。
どこの家にも救急箱があると思う。私の実家だと、それは茶色い木製の頑丈な箱だった。
普段は棚の高い段に仕舞われていて、必要があると親が取り出してくれたのを覚えている。中には絆創膏や傷薬だけでなく、湿布、包帯、ピンセットと何でも入っていた。
蓋を開けると薬品の匂いがふわりとして、安心するような、落ち着かないような、ないまぜな気持ち。
オブラートもそこに保管されていた。薄い透明のシート。こな薬が酷く苦手だった小さな私のためだったのだろう。数年前に実家へ帰ったとき、虫刺されの薬を拝借しようと救急箱を開けたら、あの青くて丸い缶は影も形もなくなっていたから。

恐怖で薬が飲めず泣き続ける私に、母は失望と怒りから薬を捨てた

こな薬は苦い。オブラートで包んでも上手に飲めなくて、今でもできれば飲みたくない。だってかなりの頻度で破れてしまい、顔がくしゃくしゃになる。大人でもそうなるし、ましてや幼稚園児や小学生には言うまでもない。そもそも、包むとできあがる塊が大きすぎるのだ。喉にひっかかり、にっちもさっちもいかなくなる。
小学生の、低学年の頃だったか。一度、えずいてしまってどうしても嚥下できなかったことがある。中身のこな薬が、特に苦いものであると知っていた。
最初に飲むのを失敗して、強度の不安からオブラートをニ重にし、より大きくなってしまった。皿に乗せられた湿っぽい塊。恐る恐る持ち上げれば、ふわりと薬品の匂い。口に入れることすら恐怖で難しく、動悸と震えが止まらない。その状態で三十分は泣いていたように思う。
そうして、痺れを切らした母親が、飲めないならもういい、とぐちゃぐちゃになった塊をゴミ箱へ捨てた。飲まなければならないのに、なぜあなたはできないの、という母親の失望と怒り。救急箱の匂いが移ったオブラートは、記憶の味がする。

もし息子が薬を飲めなかったら、あの日の母のように躍起になるだろう

苦い抗生物質は、ヨーグルトやバニラアイスといった乳製品と混ぜると食べやすいですよ。私は薬局で聞いたアドバイスを即、実行した。
水に溶かす方法もあると聞いたが、わざわざ苦い思いをする必要なんてどこにもない。そして息子へ、これはお熱を出したあなたのためのお薬です、と真面目くさった調子で言って、ピンクのヨーグルトを匙で差し出した。
彼はすんなりと口に含み、そのまま飲み込んだ。あっさりと完食し、好物のヨーグルトはもう終わりですか、というように小皿をひっくり返し始める様子に、安堵を覚える。はじめてのこな薬、苦いだとか怖いだとか、負の記憶にはならなかったようだった。

特別苦い記憶という訳ではない。
もし具合の悪い息子がどうやっても薬を飲めなかったら。私はどうにかなるほど心配するし、躍起になって飲ませようとするだろう。あのときの母親は、そういう気持ちだったのだと今思う。
泣く幼子への解決策がオブラート一辺倒だったのは、彼女の生真面目で融通の効かない所が出てしまっていただけ。あの感じのいい薬剤師さんが、当時の母親と邂逅していたら。
私は一生こな薬が苦手なままだろう。大人になってから、絶対に錠剤にして下さいと医者にかかる度に主張してきた。そうやって回避し続け、現在の我が家にオブラートはない。
しかし、息子のために買うことがあるならば、保管場所は救急箱以外にすると決めている。