2020年に私は「仕事が辛い」と何度言っただろう。
私は今年30歳になる。
2020年の年の瀬、全く収まらなかった仕事たちに一旦フタをしてゆっくり休もうと思った。休息が必要だった。

正直私は、自分のキャリアでこんなに悩むと思っていなかった。
何でも努力すれば、ある程度報われる人生を送ってきていたから。

努力すれば結果が出る。そうやって壁を乗り越えてきた

私は小中高と東北を転々として生まれ育ったが、どの学校に行っても比較的勉強も運動もできる方だった。
もちろん、天才ではないので毎回一生懸命勉強する。
そのおかげで中学の定期テストで1位をとることもあった。高校でも常に10位以内に居続けた。
大学受験は一度失敗してしまったが、浪人時代に一念発起し、毎日朝から晩まで勉強して難関国立大学に合格した。
大学では優秀な人たちに囲まれ、自分の能力のなさに挫折感を覚えることもあったが、人には負けない自分の得意なことを探すために、学外に繋がりを求めた。
学外で所属した学生団体では代表を務め、みんなをひっぱる立場を経験した。この経験のおかげで、苦手だった人前で話すことも努力して克服してきた。

そして、就職活動ではグローバルに活躍したいと国際協力の仕事を志し、第一志望、第二志望ともに合格をいただいた。ありがたいことに新卒で第一志望の会社で働くことができた。

「努力すれば結果を残せる」という経験則。
これまでもそうやって壁を乗り越えてきた。
でも、それが社会人になった私を苦しめている。

どんなに努力しても超えられない壁を前に、心身は疲れていった

新卒で入った会社では、現場が遠すぎて誰のための仕事をしているのかがわからなくなってしまった。
それに加えて、他部署や上司との関係でストレスもあった。
仕事のフローがマニュアル化されすぎていて、自分に何が身についているのかがわからなかった。
自分の中に生じたモヤモヤを解消することができず、2年で転職した。

私は今、広告代理店で働いている。
最初は企画をする楽しさや、目に見えて成果を残せて、それを喜んでくれるクライアントが目の前にいる環境に私の選択は正しかったと思っていた。
でも、今年になり、プロジェクトマネージャーを任されて悩むことが増えていった。

中小規模のプロジェクトを経験せずに、いきなり大規模プロジェクトのマネジメントをしなければならなかったこと。
年上をメンバーに抱え、彼らをうまくマネジメントできなかったこと。
残業時間が80時間を超え、土日も働かざるを得なかったこと。
メンバーのフォロー不足で、上司からも圧力をかけられることが増えたこと。

どれも私自身の能力不足からきているが、全てが重なって気持ちが爆発してしまった。
辛うじて仕事は休まずに続けたが、打ち合わせでも頭が回らず、よくわからないタイミングで涙が溢れ、生理も止まり心も身体も一杯一杯だった。
自分なりに努力はしているが、こんな高い壁を乗り越えられるのだろうか…

こんな状態になっても、少しでも希望を見出したくて年末年始に改めて自分と向き合う時間をとった。
自己分析の本を片手にノートに書き出してみると、手の止まる質問があった。

「あなたの好きなもの、こと、分野はなんですか?」

私が努力してきたのは私自身のためではなく、「だれか」のためだった

うーんと数分悩んでも、なかなかペンが動かない。
本音で言うと、大学で学んだ分野も好きかどうかわからない。今の仕事も好きかどうかわからない。
自分のことなのに、自分が何が好きでどんな時に幸せを感じるのかが本当にわからないのだ。

努力して苦手を克服し続けて、好きかどうかはさておき平均点以上を出すことにだけにこだわってきた。
そうすれば誰かが褒めてくれて、評価してくれるから。
私の過去の経験則ががんじがらめにしてくる。

文章にするとなんと情けないのだろう。
でも、それが今の私だ。
仕事で成功するという曖昧な目的を掲げて、自分の感性がどこか遠くへ行ってしまった。私の好きを取り戻さなくては。

2021年は今の仕事は続けながらも、自分の好きにアンテナを張って生きていきたい。
成功するかどうかより、自分が心から楽しいと思えること、挑戦したいと思うことを意思を持って選択する。
30歳になった私が、もっと自由に、もっと私のことを好きであるために。