1週間のストレスフルな仕事が終わり、心も体も解放されてのびのび過ごす週末。日曜日は近隣へ買い物に来ていた。一緒に来た家族が会計する間、車で待機していた私のスマホが鳴った。
母の実家(祖父母)の固定電話から掛かってきていた。家が建つ地名で『◯◯の家』と子供の頃から呼んでいて、スマホにもそう登録していた。見慣れた文字に心臓がばくばく鳴り、体全体が縮む気がした。
出るか出ないかしばらく悩み、出なかったら数時間後に何度もスマホが鳴ることを予想して、意を決して出た。祖母だった。

実家からのSOSの電話。両親とは結婚を機に実質縁を切った

「あ、Uniちゃん。ちょっと大変なことになっちゃって。お母さんがね、腰が痛くて動けないのよ。だから家は今、とても大変。あなたも仕事が忙しいと思うけれど、今日は日曜日だし、少し顔を見せてあげたら元気になると思うから。電話の一つでもしてあげて……」。電話の間、「うん」とか「はい」とか冷静に相槌を打つ自分が意外だった。
両親とは結婚を機に実質縁を切っている。全面的に母を支持する祖父母とも、ほとんど連絡を取っていない。私が結婚して車で2時間弱の土地に嫁ぐことになった時、頑として地元に残ることを要求してきたのは両親と母方の祖父母だった。
それに反抗して半ば無理やり実家の籍から抜け、彼と入籍し、新しい本籍となった新天地で新婚生活を始めた。彼らは、こんなトラブルがあった時にこそ帰ってこなくてなぜ娘なのだ、というくらいには思っているのだろう。
実際、母は、父方の祖父の介護が必要になった時に、就職して間もない私に土日のたびに手伝いに来るよう催促をしてきたのだった。それで喧嘩になったこともあったが、結局分かり合えないまま終わった。

最低の娘で孫。それでも、自分の人生を生きるために実家を捨てた

彼らにとって、子どもとは、杖であり労働力なのだ。大人になるまで育てた見返りは、自分たちが老いた時に支えになってくれることだ。老いた親の側で世話をしない子どもは裏切り者だ。
その考えが完全に間違っているとは思わないが、私とは合わなかった。だから付き合うのをやめた(他にも理由はあったけれど)。
実家に帰ることや電話をすることを「おばあちゃんからのお願い」と懇願する声が一通り途切れたら、「はい、わかりました。それじゃ」と事務的に電話を切り、その流れで『◯◯の家』を着信拒否した。
私は最低だ。最低の娘で、最低の孫だ。なんでこうなってしまったのか、という思いと、こうしなければ自分の人生を生きられなかったという思いが同時に込み上げてきて喉が痛くなった。
できたら私も周りの友達のように、両親とは文句を言いながらもたまにご飯を一緒に食べたり買い物したりする関係でいたかった。出産するために里帰りする幸せそうな友人達を見ると胸が苦しくなる。
だけど、だからといって両親や親戚との距離感を誤れば、一気にあの頃の暗い目をした自分に逆戻りなのだ。自分の人生を生きるために覚悟を決めて実家を捨てた。後悔はしていない。

今ある幸せは、両親の言いなりになっていたら得られなかった

いつか互いに許せて、普通の家族になれる日がくるのだろうか。1年、また1年と年月が経つたびに「両親を許せる?」と自分に問うようになった。まだYESには到底届かない。YESの未来はないのかもしれない。
それでもきっと問い続け、NOの答えしか出せない自分を責め続けるのだと思う。そうやって生きていくことは辛い。たまにその重さに押しつぶされそうになる。
だけど今の私には夫がいる。夫の家族もいてくれる。仕事がある。同僚がいる。趣味がある。可愛がってくれる伯母もいる。今ある幸せは間違いなく自分が努力したり決断したりして得たものだ。両親の言いなりになっていたら得られなかった。
そういうことを自覚させてくれるのは、大嫌いな両親の存在だ。いろいろな意味で大きな存在である両親をちらつかせながら、今日も私は自分自身に「幸せとは?」と問うている。