今年、28歳になったわたしは、たまにスマホのSDカードに入れてある昔の写真を見返す。学生時代はいわゆる「ガラケー」と呼ばれる携帯だったので、画質は悪くて粗いがちょっと流し見する程度だったら楽しめる。
携帯のSDカードをスマホに移して、久々に見返すのがちょっとした楽しみだ。毎度見返す度に思う。「この頃のわたしだっさいなあ……」と。
高3まではおしゃれに無頓着だったが、10年経った今はおしゃれさんだ
服に興味を持ち始めたのは高校3年生の終わり。メイクもダイエットも始めたのはその頃だった。それまでおしゃれに無頓着で、まさに「着れたら良い」状態。
そんなわたしでも10年経てば、友人たちからは「おしゃれさん」と呼ばれ、異性からも可愛がられる。時の流れは恐ろしい。
変わったきっかけは高校卒業と同時に社会人になったこと、きちんとお付き合いできる恋人に出会えたこと。そんなところだろうか。
ふと、携帯にある画像ファイルの中で、同じ人物の画像がたくさん入っているものが目に止まった。そうそう、そこには小学生の時からファン──今では推しと呼ぶであろう、憧れの人の画像が溢れていた。
彼が雑誌に出たら一目散に買いに行き、イベントには行けないのでDVDで我慢した。それを写真に写しては、フォルダ分けして整理していたっけ。
おしゃれに興味がなかったわたしが、推しと同じ格好がしたくなったのだ
その中の一枚を見て、わたしは思い出した。あれだけ服に興味がなかったわたしが、唯一中学生の頃に親に懇願してまで買いに行ったコーデを。
そう、わたしは推しと同じ格好がしたくなったのだ。今でも鮮明に思い出せるその格好は、決してかっこいいとも可愛いとも言えないシンプルなもの。
最近はあまり見かけないが、ダブルジッパーになっている黒のパーカーにオレンジ色のトップス。ボトムスは黒のデニム。
今じゃ考えられない服装だが、あの頃のわたしにはそれがとても輝いて見えた。どれだけ高い服でも、おしゃれに着飾っていても、あの組み合わせには敵わなかった。
すぐに真似しようと、親に頼んで某ファストファッションブランド店で血眼になって似た服を探した。レディースにないならメンズだと、店舗の中をぐるぐるした。そして、ようやく見つけ出したそれは、大方その推しが着用していたものとは金額も何もかも違うのだろうが、やっぱり輝いて見えた。
それからはその服がわたしのお気に入りであり、おしゃれ着であり、勝負着になった。推しと同じ格好をしているというだけで、希望になったし強くなれた気がした。友人と遊ぶときも、家族で出かけるときも、まさにわたしの一張羅だった。
いつの間にか、推しもかなりおしゃれな合わせ方をするようになり、わたしもいつしか追わなくなった。そんなわたしも、自分自身に似合うおしゃれを楽しむようになった。その時の服はいつしかなくなり、黒のパーカーだけは延々の着ていたのだが、着古したという言葉がぴったりなほどくたくたになり、どこかへいってしまった。
今は可愛い服もたくさんあるけど、輝いて見えるコーデに出会っていない
今思えば、あれだけ輝いて見えるコーデに最近出会っていない。確かに可愛いものはたくさんある。友人に「コーデを指南して」と頼まれるほどにはたくさん学んだ自負もある。現在好んで購入しているファッションブランドだって、あの頃親に懇願してまで購入したものより格段に高い。
それでも、あの頃憧れていた人が見せたあのコーデには敵わない。自分でも思う、「どうしてそんなに」。なんて、そんな言葉は野暮だろうか。
「憧れの人の真似をした」。たまたまそれが、あのシンプルなコーデだっただけで。人気モデルや俳優のコーデを真似するのと何ら変わりはない。
今のわたしは、友人たちのコーデを組むよう頼まれる。センスを見込んでとのことで、とても嬉しいし精進しようと思う。道行く人から真似をしたいと思ってもらえる、そういうオーラを纏えたら、素敵じゃないか。
そんなわたしのルーツは、あのシンプルなコーデにある。「あー、やっぱりおしゃれは好きだなあ」とにやけながら、今見れば全然おしゃれではない黒のパーカーに思いを馳せて、スマホを置いた。