私の父の趣味は服を買うことである。週末には母と2人で、最近お気に入りの『メゾン ミハラヤスヒロ』で全身を固めて、服屋巡りをしている。父のその趣味は、父の母である祖母から来たものである。昔の記憶で祖母は、ショッキングピンクのトップスとミニスカートにピンヒールを履き、髪の毛はずっと金髪だった。
スーツにオレンジ色のタイツ、厚底パンプスを履いて入学。「おしゃれ番長」と呼ばれる私
私にも少しばかり、その趣味が遺伝しているらしい。高校を卒業して浪人していたとき、気分転換に「お洒落な洋服とは如何なるものか」調査している時期があった。「こんな服装がしたい」と母に画像を見せると、「良いのがある」とクローゼットから母の昔の洋服を数着出してくれた。それはおよそ35年前、父がデートで母にプレゼントした、コムデギャルソンのワンピースだった。
母にもらったギャルソンのワンピースは、ほとんど全てが左右対称ではなく、「裁縫失敗してる?」「着方それで合ってる?」と聞きたくなるようなデザインで、たまらなく格好良かった。
私は今までの人生でそんな服を着る人を見たことがなかったし、そんな服を着ている自分に、少しの快感を覚えるようになった。母も面白くなったらしく、ギャルソン以外にもピンクハウスのワンピースや、ノーブランドの変な可愛い靴など、何点かを譲ってくれた。
無事大学に受かった私は、祖母に合格祝いとして買ってもらった憧れのヴィヴィアン・ウエストウッドの(絶対に就活で使えない)スーツにオレンジ色のタイツを合わせ、7cm厚底のパンプスを履いて入学式に出席した。
しばらくすると周囲から「おしゃれ番長」と呼ばれるようになった。京都の田舎にある小さな公立大学だったこともあり、私の服装はかなり目立った。校内を歩けば、必ず誰かに服装をいじられていた。
服装をいじられることが鬱陶しくなってしまった私。無難で地味な服装を着るようになった
最初のうちはいじられて嬉しかったのだが、次第に面倒になっていった。毎日同じようなフレーズを数人から言われることが、鬱陶しくなってしまったのだ。
お気に入りのギャルソンなんて、格好の餌食だった。そのせいで着る気が失せ、そのギャルソンは二度と大学に着て行かなかったし、私の服装も次第に無難で地味な、当たり障りのないものになってしまった。「おしゃれ番長」の称号も、いつしか忘れ去られるようになった。
それから留学に向けて貯金し、留学が始まってからもなかなか勉強以外にお金を使えなくなってしまったから、洋服も買っていなかったのだが、最近ふと「将来は決まったブランドしか着ないお洒落おばさんになりたい」と思い、そのことを母と何気なく話していた。
「どのブランドがいいの?」
「ヴィヴィアンとかかな」
「ギャルソンは?」
「ギャルソン!」
私はコムデギャルソンを思い出した。そのあと何故か父が一着買ってくれることになり、みんなで街のコムデギャルソンを見に行くことになった。
私が持っている35年前のギャルソンはとても素敵なのだが、最新のギャルソンの洋服もまた、とても素敵だった。その日は黒のワンピースと、どうしても欲しくなってしまった赤の和柄のワンピースを買ってもらった。
私の記念すべきファースト・ギャルソンとなった。
誰かに褒められたいと思ったことは一度もない。だから私は、着たい服を着る
その翌日、大学生の頃いじられて二度と着なかったギャルソンのワンピースを取り出してみた。何度見ても可愛くてお洒落だ。着て両親と兄弟に見せてみると、一番保守的な兄以外は全員が褒めてくれた。
「変じゃないかなぁ?」と尋ねると「ギャルソンの服は、変やと思って着たらあかん」と言っていた。その服を着て電車に乗って友人に会いに行ったのだが、意外にも誰にも何もいじられなかった。
私は着たい服を着たいけれど、目立ちたいわけではない。お気に入りの服を見たり、服屋で選んでいるとき、自分がどんなふうに街の風景に馴染むかを想像はするが、誰かに褒められたいと思ったことは一度もない。
だから私は、着たい服を着る。周りがなんて思うか、私には一切関わりのないことである。