私が幼いころ、NHK朝の連続テレビ小説で、「だんだん」が放送されていた。
もうろくに覚えてはいないが、生き別れの双子の片方が京都で舞妓さんになっている、という設定だったことだけは覚えている。今思えば、私が舞妓さんに憧れたのはそれが始まりだった。
舞妓とは、芸妓になるための修行の段階である。多くは中学を卒業した後、置屋さんに住みこんで芸を磨き、舞妓となり、そののち芸妓となる。
私は小学校高学年のころから舞妓さんになるという進路を考え始め、中学を卒業したら高校には進学せずに京都に行って舞妓さんになりたいと、漠然と考えていた。
綺麗な着物を着て、お客さんを笑顔にする、日本の伝統を担い受け継ぐ。そんな職業に憧れた。

舞妓さんになるため高校に行かないという選択肢は、常識を壊した

私の両親は基本的にやりたいことをやりたいようにやらせてくれたが、舞妓さんになりたいと言ったときは後にも先にもないくらい反対され、旅行先の京都でも言い合いをしたことをよく覚えている。
その当時から私には大学で学びたい学問があり、舞妓さんになるのと同じくらいかそれ以上に大学に行って学問をするということも夢見ていた。その頃は中学を卒業したら京都に行って舞妓さんになり、高校卒業資格を取得して大学に入学するという将来を描いていた。舞妓さんになりたいという思いも、大学に行って勉強したいという夢も両方欲張りに叶えようとしていたのだ。
しかし、一生を祇園で過ごす覚悟のない私は舞妓さんになるという夢はあきらめて、高校に進学した。
舞妓さんになるという未来は切り捨てた。けれども、舞妓さんになるという夢を本気で描いて実現しようとしたからこそ、高校に行かないという選択肢が私の中に生まれ、常識を疑うことができるようになった。

当たり前を変えれば選択肢が広がり、自分の選択肢に深く向き合える

私の通った中学校の同級生は全員が高校に進学したし、私も舞妓さんになりたいと思うようになるまでは高校に進学するのが当たり前だと思っていた。
高校に進学しないということは、それほどのマイノリティである。しかし、高校に進学しないことは何ら不思議なことではない。学校では学べないことなんて山ほどある。
両親がいることも、異性を好きになることも、学校に通うことも、就職することも、結婚することも、子どもを持つことも当たり前ではない。その人が選べないことだってあるし、選んでそうしていることだってある。
一度、高校に進学しないという選択肢を真剣に考えたことで、自分の選択肢が大きく広がった。今までそこにあると知っていても選び取れるはずがないと無視していた選択肢と、ちゃんと向き合って考えられるようになれた。舞妓さんに憧れたあの日の幼い私がいたから、自分の選択により深く向き合うことができたし、他人を「その人が取った選択」という色眼鏡を通して見るのがナンセンスだと気付くことができた。

普通から外れた選択をした人を見下したり、同情したりするのは失礼だ

日本は未だ学歴が重視される側面が強く、大学、それも入るのが難しい大学を卒業していると社会的に高い評価を得られることがよくある。
しかし、学歴なんてものはその人の運と選択の結果であって、たとえ中卒であっても、それは社会的信用を失うようなことではないと、私は思う。
多くの人が選択するからそれが普通になるけれども、普通から外れた選択をした人を見下したり、同情したりするのは失礼だ。
それに気付くことができたきっかけはやはり、高校進学するかしないかを自分事として真剣に悩んだことだと思う。それがなければ、この歳まで私は普通から外れた人を見下したり、同情したりしていたのかもしれない。
舞妓さんに憧れたから気づけたことがある。
諦めた夢だけれど、憧れて、真剣に考えたことは決して無駄ではなかった。

いつか京都の花街でお座敷遊びをするのが今の私の夢だ。