自分にないものを持っている人を目の当たりにしたとき、私の瞳は輝きを放つ。
最初に瞳を輝かせたのは、小学生の頃か、それよりもっと幼いときだっただろうか。とにかく医療モノのテレビを観るのが、好きだった。ひたむきに命と向き合う人々、その手ひとつで命を救っていく医者に、いつしか憧れていた。ただただ、かっこいいと思っていた。医療ドラマを観るたびに、その思いに拍車がかかる。
気づけば、一途に医療従事者になる道を辿っていた。ドラマを観て、憧れ、その世界に飛び込んでしまう人もいるのだ。
自分にはないものを持っている先輩たちと一緒に働くことが出来て嬉しい
看護学生になれたときには、憧れの世界に近づいている、やっとここまで来た、と嬉しかった。
実習で関わる看護師は、基本「恐い」ものだと思って関わる。この「恐い」は、社会でいう理不尽だ。辛いという言葉では表せない経験もしたのだけれど、憧れの世界に立てているだけで、憧れの人たちと話が出来るだけで私にとっては、「すごいこと」だった。
学生の目線に立って話す優しい看護師も、もちろんのことながらいる。そんな優しく教育してくれる看護師がいたから、またもや憧れ続けて頑張れたのだと思う。
やっとのことながら看護師になり、就職した職場には優しい人たちで溢れていた。学生のときには言われるがまま従ってきた世界だったが、今度は憧れの人たちと同じ場所で働く先輩・後輩の関係となって、対等に話すことが出来た。
私にとっては、「奇跡」だ。自分にはないものを持っている先輩たちは、すごくかっこよかったし、一緒に働くことが出来て嬉しかった。
教育する人は、仕事を好きにさせることも嫌いにさせることも出来る
私を教育してくれていた先輩には、憧れしかなかった。先輩・後輩として一番近くにいる存在だった。先輩は厳しい環境の中で教育を受けてきたのにも関わらず、後輩には優しかった。
私が行動をすれば、「素晴らしい!」と言ってくれる。私が手書きでメッセージを書けば、次会う時にはメッセージが返って来ている。私は、一緒に笑い合ったあの奇跡のような時間を一生忘れないと思う。
「教育する立場の人は、仕事を好きにさせることも嫌いにさせることも出来る」と聞いたことがある。その通りだと思う。私は、憧れの人たちに惹かれてその世界に入り、憧れる世界の一部の心ない教育で、その世界から去ることを決めた。
私の中で、憧れという気持ちだけではいけないだろうと思う場所は、とっくに越えていたように思う。憧れというものが持つ輝きの力を実感した。
こうなりたいというものは、職業だけではない。人柄だって憧れの対象だ。憧れを追いかける途中で、学費稼ぎをしていたアルバイト先で出会った、年上のお姉さん上司。いつだって同じ立場でいてくれたから、近い目線で見ていてくれていたから、私が悩んでいることも相談しやすかったし、ちゃんと話を聞いてくれる。
アルバイトを辞めたいと思ったことは何回もあったけど、何故か3年ぐらい続けたのも、選択の分岐に立ったときに一緒に考えてくれる人がそばにいてくれたからだと、つくづく思うし、ここでの出会いは、私の人生をかなり左右させた思う。いまでも、そんな存在になれる上司への尊敬の念は、止まりません。
大学時の親友は、私の憧れの世界で頑張っていてかっこいいし、羨ましい
そして、これを読んでくれているであろう、大学時代の親友。いまだに私の憧れの世界で頑張っていること、かっこいいし、羨ましくもある。私が親友と呼ぶのも恐れ多いぐらいに、努力の出来る人だと思うし、私の考えにもしっかり意見をくれる。私がどんな選択をしても、肯定してくれる存在でいてくれたから、いまこれを書いているのかもしれない。
相手の気持ちを考えがちな私も、この人なら何を思われてもいいと思うほどに信頼を置いている。友達と呼べる人のなかで上位数名を親友と呼ぶのであれば、この先、一生親友なのではないかとも思う。
私が憧れの力によって、どこまででも行動出来たように、私も誰かにとって、可能性の1つになれるような存在に、この先なれたらいいなと思う。