大学を卒業し、この4月から働き始めた。もう半年近く経つ。
職場には慣れたが、慣れない仕事もまだ多い。やめたいと思うほど辛いことはないものの、ついこの前まで学生だった身としては「しんどい」というのが正直なところだ。
それでも毎日楽しく出勤できているのは、憧れの先輩がいるから。今でこそ「憧れの先輩」というだけですんでいるが、ある時までは必死なくらいに恋焦がれていた。

就職して間もなく心惹かれていった憧れの先輩は、既婚者だった

憧れの先輩は15歳年上で、誰に対しても敬語を崩さない人。遠くにいても目立つくらい背が高いけど、とても物腰柔らかなのでいい意味でまったく威圧感がない。同じフロアで働くその人に、就職して間もなく心惹かれていった。
春が終わるころにはどうしようもなく好きになってしまっていたが、先輩は既婚者だった。はじめて恋をしてはいけない人に恋をした。

職場からの帰りが一緒になった日、近くに住んでいることを知った。同じ電車に乗り、同じバスに乗って帰ることができるくらい近く。嬉しくて舞い上がってしまって、その後何度か意図的に帰りの時間を合わせた。
先輩はいつでも穏やかで、私が駅やバス停で追いつくとたあいもない話に付き合ってくれた。奥さんが知ったらどう思うかと想像することもあったが、仕事着を脱ぎリュックを背負って出て行く先輩を見ると、衝動的にパソコンを閉じてしまう自分がいた。いい迷惑である。

私は奥さんとの生活の中で、形成された先輩の姿が好きなのかもしれない

七夕の前日のことだった。先輩が何やら大きな袋を抱えて帰っていくのが見えて、その日も私はパソコンを閉じ駆け足で階段を下りた。
あの袋は何だろう、何か人からもらったのかな。駅のホームに続く道で、先輩に追いつく。大きな袋の中で揺れる緑。笹だ。先輩は、1.5メートルほどの笹を抱えて歩いていた。
聞けば、お世話になっている業者さんに七夕のために採ってきてもらったらしい。お家で、奥さんと一緒に飾りつけるために。去年はお月見のススキもお願いしたという。

先輩が嬉しそうにそれを話してくれたとき、自分の中に二つの感情を覚えた。一つは「なんて風流な人なんだろう」という感動で、もう一つは「私は奥さんとの生活の中で形成された先輩の姿が好きなんだ」という悟りのようなもの。

お子さんはまだいないと聞いていたから、情操教育的なイベントとしてではなく、夫婦だけで七夕をするのだ。あたたかな光に満ちた家の中で、大人ふたりが折り紙を切り貼りしたり、短冊を書いて隠しあったり見せあったりする様子が浮かぶ。奥さんに関しては顔もわからないけど。
ただ、そこにいるのは絶対に私ではなく先輩の奥さんで、私はそれを悔しいとも羨ましいとも思わなかった。結婚しているという事実の途方もなさを、その日突然実感した。

私は今、灯台を望む船乗りのような心持ちで「先輩」を見ている

それからは少しずつ、先輩に恋焦がれていた気持ちが、先輩の生き方への憧れに変わっていった。もう帰りの時間を合わせて、階段を駆け下りるようなこともしていない。

諦めといわれればそうなのかもしれないが、今は灯台を望む船乗りのような心持ちで、先輩を見ている。遠くにいてもよく見える、あたたかな光に満ちていて、私が正しい方向に進んでいけるようにただそこに立っている灯台。ある意味、人生の指針といえる。

憧れってひょっとしたら、恋心より切実なのかもしれない。