わたしは晴れた空が一番好きだ。
その空に続く景色が、清らかな海だったなら、もっと好きだ。蝉の大合唱の中、真夏の雲ひとつない日に、空をつんざくような飛行機雲を眺めるのも好きだ。真っ青な空と薄ピンクの桜のコラボレーションもまた好きだ。出会いと別れの思い出を想起させるのもあるが、年に一度しか見られない特別感もまた素敵だと思う。
そう、わたしは晴れた日が一番好きだ。
大好きなアーティストがキッカケで雨が好きだと公言するように
わたしは雨が好きだと、周りに公言するようになったのは中学生の頃。当時大好きだったアーティストが「雨は街の汚れを流してくれるようで好き。雨は決して悪者ではない」と雑誌のインタビューで答えていた。
思春期真っ只中のわたしは、その雑誌の一文を読んだ瞬間に雨が好きになった。みなさんも似たような経験があるのではないだろうか。
わたしが住む町は、ゴミ一つ落ちていない田舎町だった。落ちているとしたら、畑で採れた野菜の葉や、トラクターのタイヤ跡の形をした土くらいだろうか。そのアーティストが言う街の汚れとは、全く無縁の生活だった。
20代で上京して初めて、街が汚れているという感覚を知ったのだ。
飛行機から降りる際の連絡通路から、東京の香りがしたのを今でも覚えている。この土地で呼吸を繰り返すのが息苦しく感じるような、そんな香りだった。この先、ここで長く生活していくと考えると、早く病気になってしまうのではないかとさえ思った。
それほど、地元の新鮮な空気の中で暮らしていたことが贅沢なことだったと、今では思う。
恋焦がれていた先輩は雨が好きだったから、また雨が好きになった
そんなわたしは、高校を卒業し、地元から離れた大学に進学した。そこで出会った2つ上の先輩に恋焦がれていた。その先輩は非常に奥ゆかしい人で、雨が好きな人だった。
ある日、先輩とのメールのやりとりで、雨の話になった。確かその日は雨が降っていた。
先輩から「今日の雨音落ち着くー」とメールが来ていた。これを言ったら世代がバレてしまうが、まあいいだろう。
当時、LINEでのやりとりが主流になる前は、Eメールでのやりとりだった。受信相手によって着信メロディを変えられるというメリットがあった。
わたしはもちろん先輩だけの“着メロ”を設定していた。当時、恋愛ソングでヒットを更新し続けていた歌姫の着メロにしていた。先輩からの受信音だけが違ったので、メールを開く前からドキドキワクワクしていた。まるで、イントロクイズに参加しているかのように、先輩からだと分かるとすぐにメールを開封した。
甘酸っぱいというのは、きっとこういうことを言うのだろう。今では、くすっとできる良い思い出だ。
そのうち、LINEでのやり取りが主流になり、今度は先輩とLINE友達になった。毎日欠かさずやりとりしていた。先輩の話す言葉や、大人びた感覚、たびたび送ってくれていた愛猫の写真など、先輩の放つもの全てがわたしの中でだけ、ゆっくりゆっくり大きくなっていった。そんな先輩が雨好きと知ってから、わたしは再び雨が好きになった。
雨が上がったあとの匂いで、当時を思い出す。元気にしていますか?
3月、先輩が卒業する日が来た。わたしは勇気を出して言った。「先輩はわたしの憧れでした。」と。
好きだったかどうかと問われたら、きっと好きだった。今は、当時より人間的に成熟したので、感情と言葉の結び付きは理解している。そのため、好きが何なのかわかっているつもりだ。
しかし、当時のわたしは言えなかった。この感情が好きなのか、そうでないのか全くもって分からなかった。先輩に憧れていたことを伝えるだけで精一杯だった。
先輩が卒業した後も、たまに連絡をとっていた。先輩は、彼女ができたこと、同棲を始めたことなど、わたしにとっては少し聞きたくないような話だった。その何年か後には、子どもができたので結婚するという内容だった。その後すぐに、わたしは先輩の連絡先を消去した。
たまに、雨が上がったあとの匂いで、あの頃の思い出が蘇る。雨が好きだと話す人は、今、元気で暮らしていますか?