築50年を過ぎた宿舎に住んでいる。昔の団地のような建物だ。古びてはいるけれど、昭和を知らない私にまでどこか懐かしさを感じさせる。
しかし、住むにあたって問題はたくさんある。

ポストから香る、錆とくぐもった空気が混じったような「昭和の匂い」

冬はとても寒い。特にお風呂。キッチンが狭い。食洗器なんて絶対に置けない。
そして少々込み入った難点かもしれないが、こんなこともある。「ポストの扉がなかなか開かない」。
集合住宅の入り口に長年設置されているポストは建て付けがかなり悪くなっていて、渾身の力を込めて引っ張らないとなかなか開かない。そして開いたとしてもものすごく大きな音を立てる。地味だが結構なストレスなのだ。なんせ、ポストはほぼ毎日開くもので。

そして、ポストを開くと毎回決まってふわっと、錆とくぐもった空気が混じったような匂いがする。もったいぶったその匂いを私は、昭和の匂い、と呼んでいる。
大抵、ポストに入っているのはすぐに捨ててしまうチラシだ。9割がそう。しかし、印象的なものが入っている時もある。
一番思い出されるのは、数年前に届いた祖母からの手紙。祖母から届く手紙のどこがそんなに印象的なのか、と思われるかもしれない。私と祖母には普通ではない歴史があるのだ。

離婚後無縁だった父の死を知り、父方の祖父母に手紙を出した

その祖母は父方の祖母。私が住んでいるところからは飛行機に乗らないと会えない場所に住んでいる。そして、祖母とは25年間会ってもいないし、消息も知らなかった。
その状況は、父との状況にも当てはまる。なぜそんなことになったかというと、両親が私の小さなころに離婚したから。そして私は母親に引き取られ、父親とは無縁になった。
23歳。まだ実家にいたとき、家についてポストを開けると知らない弁護士から郵便物が届いていた。エレベーターを待ちながら早速封を切った。

「あなたの父である○○さんは〇月〇日に病気のため亡くなりました」
わずかな遺産の相続権が私にもあったらしく、そういう手紙が届いたらしい。父の存在をその死をもって感じた時だった。
それから私は、昔の年賀状を発見して得た父方の祖父の名前をググり、WEB電話帳から住所を入手。今も住んでいるか分からないけど、近況の手紙と数枚の写真、お元気ですか?を添えて送った。返事はなし。それっきり。でも手紙が戻ってくることもなかったため、無事に届いているだろう。

旅先でふと思い出し、急遽予定を変更して祖父母の家へ

25歳、結婚した。心から信頼できる最愛の人を得た。
私たちは旅行に行った。旅先でふと思いだした。ここは父方の祖父母の家に近い。
急きょ予定を変更して、電車を2本くらい乗り継いで降り立った駅は、旅行者は来ることのない地元の人の生活を感じるようなところ。そこからちょっと歩くと目的の場所についた。
前回訪れた時には幼すぎて記憶にも残っていない古い一軒家。ただの家という物体を見て涙したのは後にも先にもこの時だけ。

ただ家を見るだけ。そう思って来たのに、私は何かを求めてしまった。決心するまで近くのカフェで二時間。夫は傍にいてくれた。古いその家に戻ってチャイムを鳴らしてみた。またも、返事はなし。
ホテルに戻った夕方、夫が祖父母の家へ電話をかけてみてくれた。コール音が数回響いて、品のある年配女性の声が父と同じ苗字を名乗った。夫は私の言伝通り、私が父の墓参りに行きたがっている、と伝えてくれた。祖母は「新しい嫁さんもいるので、墓の場所は教えられない」と言った。

数日後ポストを開けると、昭和の香りと共に祖母からの手紙が届いた

旅行から帰って数日後、私は仕事から家に帰っていつものごとく例のポストを開いた。
いつもよりもさらに渋かったポストの扉。そして中には一通の手紙。
内容は「無事に成長していて安心している。これからも元気に過ごしてください」そんな感じ。昭和レトロなポストの香りには派手なサプライズは似合わない。しかし、いつもどこか懐かしさを運んできてくれる。
27歳、息子が産まれた。この子が成長して子どもが出来たら、想像しただけで可愛くてたまらないだろうと思う。
現在28歳。息子はますますやんちゃになった。そして、私の心に深く積み重なった雪を息子はいとも簡単に溶かした。
この子をいつか、おばあちゃんにも見せたいなあ!