高校1年生の冬、京都駅にいた。
朝7時に学校に行くつもりで家を出たのに、8時すぎには京都駅前でぼんやりと突っ立ている。
最近買ったばかりの靴が踵(かかと)に傷を作り、それが歩くたびにジクジクと傷んでいた。
そんなことが幾度か続いた。私は家出も、引きこもりも、登校すると見せかけて登校しないということもやってのけるいわゆる、問題児だった。
理由は単純明快。学校が嫌いだった。
どうして自分と似たり寄ったりの能力を持った子供を一箇所に集めて競い合わせるのか。私は毎日グラディエーターの気持ちだった。
心許ない自分の個性と世界のあらゆることをまだよくわかっていない脳みそで、ほとんど裸の状態で戦っていた。
学校は闘技場だった。その上従わないといけないルールや、突出しすぎた個性は逆に疎まれる。学校の先生たちはまるでわがままな王族で、少し機嫌を悪くしたら私たちの首を切ってしまうような、そんな雰囲気すらあった。
捻くれて、冷めた子供だった私は次第に仲間外れにされるようになり、気がつけば闘技場で孤立していた。
京都から帰った私を待っていたのは、母親のビンタと呼び出しのメール
その日も学校に行こうと思って玄関を出たのに、気が付けば京都行きの切符を手にしていた。しばらく電車に揺られ、気がつけば観光のために作られたような煌びやかな駅に降り立っていた。売店はまだシャッターが降りていた。
冬の京都は寒かった。地元の兵庫よりずっと寒く感じた。
有り金はほとんど運賃で飛んでしまったので、バスを乗り継いで観光地に行くことも、出店でプラプラ食べ歩きすることも叶わず、おまけに靴擦れがひどく歩くことも面倒になり、結局夕暮れ前には家に帰る羽目になった。
本当に京都を冷やかしに行っただけだった、ただでさえ寒い冬先のことだったのに、京都も迷惑をしただろう。
帰った私を待ち受けていたのは母親の涙ながらのビンタと、校長先生からの呼び出しのメールだ。捻くれ者の私は母親のビンタも、校長先生の長いお小言も何も響かなかった。ヘラヘラと笑って、やっぱりどうしようもなく学校が嫌いだった。
「京都に行って何がしたかったん?」
「わからへん。学校行かへんぐらいなら、なんでもええわって思ってただけやし」
年若い国語の先生が私に聞いてきた。その時漠然と「どうやら私の悪行は学校中に知れ渡っているらしい」と妙に誇らしい気持ちになった。
その先生は他の教員よりも若く、すっきりとした垢抜けた女性で、女子生徒の憧れの的だ。そんな先生にさえ、自分のしたことが知られていることが少し嬉しかった。自分の頼りない個性が少しだけ他の人のそれよりも強く感じた瞬間だった。
あれは勇気の証で肝試しだったのに彼女は「逃げている」と言い切った
「いいこと教えたるわ」
「なに?」
「どんなに逃げても、自分からは逃げられへんで」
ぱりん、と私の触れてほしくないどこかが音を立ててひび割れた気がした。あるいは私の心許ない武器が壊れる音だったのかもしれない。
けれど、彼女の言葉は私に深く突き刺さった。
「どんなに逃げても、自分からは逃げられへんで」
学校に行かないことを私は「逃げている」と思ったことなど一度もなかった。それはいつだって私の明確な意思で、学校なんて糞食らえという思想の下、行っていることで、ちょいと悪いことだった。
「逃げている」なんてそんな弱虫の行為だとは思っていなかった。あれは紛れもなく、勇気の証だったのだ。自分なりの肝試しだと。
それなのに、彼女は言い切った。「逃げている」と。
学校を休まなくなったのはそれからだ。逃げている、と思われていることが癪だった。でも完全に胸を張って「逃げていません」という自信もなかった。
毎日自分と同い年の若者たちと肩を並べて、頼りない個性を振り回し、自分の居場所をなんとか確立しようと必死だった。それは本当に辛く、逃げたくもなるような苦行だったのだ。学校に通い続ける毎日は水中で息をするような無謀なことに思えた。
日に日に私は自分のことがわからなくなって行って、あの日京都へ向かった自分は「逃げていたのか」と問い続けた。
「逃げている」と評されたことを恥じたけど、あれは賢明聡明な判断
大人になった私は、まだあの靴擦れのできやすい踵を抱え、歩き続けている。いや、「逃げ続けて」いる。
私はあの時「逃げている」と評された自分を心底恥じた。けれど、何を恥じることがあるのだろうか。自分の個性を潰しにかかって、居場所もないような場所から逃げることなんて、当たり前のことじゃないか。
人気者かそうじゃないか。勉強ができるかできないか。普通か普通じゃないか。どのグループに属しているのか。その他色んなくだらない分類で人を判断するくだらない環境になんか、長い間身を寄せる必要なんて全くなかった。そのことを「逃げていた私」はよくわかっていたのだ。
この船は沈んでしまう、早く逃げ出さないと!賢明聡明な判断である。
私は自分の羽をしっかり伸ばせる場所を探していた。そのためにはまず、自分の羽をもいでいく場所から「逃げる」必要があった。
生きるだけで違和感がある私は、「踵に傷を持つ」人間なのだろう
隠し事がある人間を人は「脛(すね)に傷を持つ」という。
脛は滅多に人に見せないからこのことわざができたという。それであるなら、ただ生きるだけで違和感があり、辛さを感じる自分はきっと「踵に傷を持つ」人間なのだろう。歩けば歩くだけ、傷んで仕方ない。常に何かとの摩擦を感じている。捻くれもので、分からず屋で、向こう見ずな自分。
24歳、東京でフリーター。
高校生の頃の人生設計では、もうこの年で小説家か絵本作家になってるはずなのに、アルバイトを複数掛け持ちであくせく働いている。
無名、無職、幸先は悪いぜ。
最近買ったばかりの靴はやっぱり踵に食い込み、じくじく傷んでいる。私の踵が異常なのか、世の中の靴が私に合わないのか……。
それでも私は今の自分を、そしてあの時逃げていた自分を世界に、世界中に自慢したい。
私はやりたいことをやっているぞ。カッコ悪くて、うまく行かなくとも、めげずに今も「逃げ続けて」いるぞ。どうだ。心底かっこいいだろう。