私は子どもの頃から、勉強ができないことを見過ごされてきた。特に暗記分野、そして理系科目。
暗記と理系が苦手だなんて、the☆頭の良くない文系そのものなのだけれど、小学生の頃は「自分はいくらやっても漢字は覚えられないし、計算だって好きにはなれない」と本気で思っていた。

うっかり小学校受験が成功してしまい、学校では音楽や美術など(感性の科目)を好んで取り組んだ。その上ちゃっかりそこそこ得意だった。関連する行事などでは若干目立たせてもらい、自分には関係のない(と思い込んでいた)行事や日常の学習活動では、気配を消していた。運動も得意ではなかったので、運動会では出来るだけ地味な競技に出て、黒子に徹した。逆上がりは最後まで出来なかった。

学力オールマイティーが基本スペック、その上にそれぞれの個性が乗っかっている、みたいな学校だったが、私はなんとか9年間やり過ごせてしまった。親としては、「我が子が賢いお友だちに囲まれて楽しく学校に通ってくれればそれでいい(でもうちの子、一体いつ賢くなるのかしら???)」という感じだったんだと思う。ごめんねお母さん、小5の時、軽率に塾いきたいとか言って。#ミーハー #無意味

今になって思うが、そういう子どもは学校の先生も放置しやすいんだと思う。ひとつ個性があるということは、ひとつ誉めるポイントがあるということなので。私のような子どもは全国の各学校で一定数いるとにらんでいるんですけど、同志はいませんか?(なんだかここにもいる気がするのです)

自分の身の丈にあった環境で生活することになった時、驚いた

逃げて逃げて逃げまくる9年間をすごしてきた私なのだが、私立の高校に進学し、自分の身の丈にあった環境で生活することになった時、非常に驚いた。めっちゃ暮らしやすいやんと。自己肯定感が爆上がりした。

基本スペック(学力)はみんな大差なく、その上に私にしかない個性が乗っかっているという状況。それまでと同じことをしても、そこそこに目立つ、とかじゃなくて、なんじゃこいつ?!ってなるほど目立つ(良くも悪くも)。今まで見てきたオールマイティー達から吸収してきたことが、ニョキニョキと芽生えて、やりたいことが何でもできるこの感動。急に自分には色んな可能性が広がっている気がした。

義務教育はある程度勉強すれば点数は取れるはず

高2になって大学受験を見据えた時、専門的に学びたいなと思った分野はピンポイントだった。そこで私立の志望校が決まり、受験勉強をする中で、やっと「漢字は覚えられる」ということに気付いた。おっっっそ!!!!!

漢字だって英単語だってなんだって、実はやろうと思えば誰でも覚えられるのだと思う。ただ、そのスピードが人によって違うだけ(忘れるスピードも違うけど)。テスト勉強はわからない問題から潰していけばいい。義務教育の中の勉強は、事前に取りこぼしを可能な限り減らしておけば、テスト当日もある程度の点数は取れる仕組みになっているはずなのだ。

振り返ってみると小学生中学生の頃は、日常生活や読書体験などから覚えた漢字はあっても、ドリルなどで出会った漢字を覚えたことがほぼなかったのかもしれない(他の科目も同様にそんな程度だった)。点数をとるための単純なシステムに、マジで気が付かなかった。

息子たちの自己肯定感が上がる日を今から待ち望んている

なぜその事に高2で気が付いたのか、それは簡単で、「大学行って知らないことを勉強したい」「勉強もできた方がイケてる」と能動的に思えたからだ。それまで「やりたいことは得意なことだけ」「勉強はできないけど得意分野ではそこそこイケてる」という状態だった自分をアップデートするには、まず苦手分野からアプローチするべきだと気付いたからだ。その頃には昔嫌いだった体育の授業も得意ではないが好きになっていたし、自分自身のことも前より好きになっていた。

そんな私も今ではアラサーで、二児の母である。自分の歩んできた人生に悔いはない。逃げまくった9年間だって、最終的には役に立ったのだから。だがしかし、勉強スイッチが入るのが高2とは、コスパが悪すぎて泣ける(親が)。
小さいころから「100点を取るために勉強できる」タイプの子どもも、世の中にはいるだろう。しかし私は「やりたいことをやるためなら勉強できる」タイプだったのだ。
私の息子達はこれからどうなるだろうか。勉強スイッチが入るのがいつなのかはわからないが、とにかく彼らの自己肯定感が爆上がりするその日を、今から待ち望んでいる。