「その髪は地毛?」
高校の入学初日に頭髪検査だったのだろう、さっき初めて会った先生に突然呼び出された。
今でも忘れない、不可思議な疑問を投げられたことを。

「その髪は地毛?」高校に入学した初日。初めて会った先生たちに尋ねられた

突然の呼び出しに驚いて、分かりやすく思考が停止した。小学校、中学校と、わりと真面目っ子のほうだった。周りと比べれば、スカートも短くしてなかったし髪を染めたこともなかった。

でも、たしかに私の髪は、おばあちゃん譲りの赤茶色だったんだもの。無理もない、か。渋々ながら、先生の問いに答えることが先決だと思った。

初めて会った先生達には、染めたか染めないか分からないぐらいだったのかな。なんで髪の色なんて気にして、この大人達は聞くのだろう。ほんとに驚いた。
先生たちは茶色じゃないか。染めているじゃないか。メイクしているじゃないか。
先生たちにとってはマニュアルか校則に沿って、ふつうに聞いただけだったのだろうとは今なら思える。

その後、私は先生にハッキリと地毛だと伝えた。自分の地毛を弁明しなければと必死だったと思う。先生とのやり取りで、私は無事に地毛だと認められた。学校中の先生間で認識されることで許された。
なんで先生の間で認識されないと、赤茶色の私は高校生活を送れないのだろう。ほんとに疑問だった。

髪色もオシャレも自由で怒られない。私は周りと同じように大学デビューした

高校を卒業して、大学生になり、ふと周りを見渡すと大学デビューしている同世代に、自然と目がいく。ゆるふわのパーマをかけた可愛らしい女の子。きれいな金色や茶色に髪を染めた男の子。ピアスをしていても大学に行く事を許される。メイクしていても怒られない。私服でお洒落することも怒られない。

そこには、やっと校則から解放されて自由に大学生活を謳歌しようとしている人たちで溢れていた。私が見ていたはずの世界が、どれだけ窮屈だったかということに気付かされた。そうか、ここは見た目で判断しないんだ。髪の色で評価されるわけじゃないんだってことが何より嬉しかった。

その後、私も大学デビューしてみたくなり、ピアスを開けたり、市販のヘアカラーで染めたりした。でも市販のものと相性が悪くて、綺麗には染まらなかった。それに地毛をわざわざ染める必要ないじゃん、なんて友達に言われたこともあって数回だけ染めて、きっぱりと止めた。すると、しばらくして、さほど酷くないプリン頭になり、自然と地毛に戻っていった。

就活が始まるとみんな黒髪になり、「当たり前」だった違和感に気づいた

月日が経ち、就活が始まると、とたんに黒髪に染めた人たちで溢れていた。せっかく手に入れた自由を就活で手放さなきゃいけないのか、またもや疑問になった。
何で、そんなに髪の色にこだわるのか。私はまた地毛を染めるかどうかで悩むことになり、結局は周りの影響もあり黒髪に染めることにした。おかげで、それから6年くらい元々の綺麗な赤茶色に戻ることはなく暗い茶色になってしまった。

ふとアニメでみる十人十色な髪色は、特に私の目に心に映り、過去の気持ちが揺さぶられる。紫、金色、ピンク、茶色、緑、赤、青。染めてみたかったなぁ。ほんとうに視聴者の心をくすぐる素敵な色で溢れている。羨ましい。自由で良いな。そのアニメの世界に校則なんてあるのだろうかと、つい疑ってしまう。

嫉妬にも似た、そんな心に気付いてしまうのは何でだろう。私が大人になってから初めて感じた、その違和感にあらゆる思考が走る。なんで当時の私は校則を守ることが当たり前だ、なんて思っていたのだろう。

もし校則を変えるなら、見た目の捉われず息苦しくないものにしたい

私がもしも校則を変えるのなら、特に髪色や髪型の指定は失くしたい。地毛か、染めているか、パーマを掛けているか、お団子か、なんて社会に出れば然程大きな問題にならないと思う。ふと何年か前に目にしたネットニュースで、頭髪検査で地毛の提出を迫られたり、地毛だと分かっても黒染めを強制されたり、何これと思わざるを得ない校則もあるのだなぁと絶句した。

校則に縛られていた、なんて大人になってからじゃないと分からなかった。へぇ、そうなんだ。校則を守らないと内申点に響くし、先生達からの評価が下がるんだってぐらいに思ってた。当時は、ひたすら校則が大事で守ることに徹して、とことん学校での真面目な私を演じて、自分自身を保っていた気がする。いまでも息苦しかったなぁって思い出してしまう。

そのなかで高校生のときは、せめてもの悪あがきで、帰り道だけスカートを短くしたりバレない範囲でメイクもした。メイクって言っても、やり方を知らないし分からないから、今思えば下地を塗ってアイラインを引いて、休みの日にグロスを塗るぐらい。それくらい私の当たり前だった校則は大人になるにつれ、校則を守る意味は一体何だったのだろうと考えるようになった。

校則に左右されてきた18年。見た目で判断されない教育を願っている

社会人になれば、学校以上に多くの人に多くのものに出会う。高校卒業までの18年で、どれだけ校則に左右されてきたのだろう。
髪の色一つにしても自由を制限してしまうことで、どれだけの人が傷付いたのだろう。その心の傷で、好きなことが出来くなった人がどれだけ居るのだろう。どれだけの人が地毛が黒髪以外ということで泣いたのだろう。

校則は良くも悪くも、その人の個性を縛ってしまう危険性があると思う。もっと広い視野で未来の子たちを守れる校則を作ってほしい。決して個性を潰さないで、その人らしい生き方を肯定してほしい。見た目だけで判断しない教育を目指してほしいと願っている。

私も今、髪の毛を染めて、すきな自分を取り戻せるようになっている。校則が必要になった理由を今一度見つめ直してほしい。