島根の人は、なにかと「ご縁だから」と言うことが多い。神無月になると、出雲大社に全国の神様が集まって縁を取り持つ会議をするのだという。だから、島根では神無月のことを神在月と呼ぶ。
たまたま居酒屋に居合わせた、同じ大学の人に会えば「縁があるなあ」と言うし、値段表記で『何縁(円)』と書かれていることだってある。感謝する方言も発達していて、『だんだん』という言葉が『ありがとう』という意味になる。

人を大切にする島根という土地で、十個以上の仕事を経験した

そんなふうに、人を大切にする土地で、私は十か所以上のところで働いた。ジェラート屋さんに、図書館の蔵書整理、塾講師、アパレル接客業、報道局のAD、居酒屋のホールスタッフなどなど。あげれば際限がないほど、掛け持ちに掛け持ちを重ねていろんな仕事をしまくった。そして今は、正社員で事務職をやっている。
十か所以上で働いたということは、それ以上の回数の面接をしたということである。どんな仕事でも、面接をして採用されなければならない。ハローワークに行って、履歴書を書き、歩き慣れないパンプスで会場へ向かった。
そして、今の職に決まったときには、面接に慣れすぎて、逆に面接官を見定めてやるという強気の姿勢で挑むようになっていた。
手書きの履歴書でなければならないという会社は、これからの時代についていけないと思い、履歴書はパソコンで作成した。デジタル作成が原因で書類選考に落とされる企業なら、こちらから願い下げである。

たくさん働いた経験から、仕事を選ぶ上で譲れない部分が分かった

質疑応答では、必ず残業があるのか聞いた。恒常的に残業がある会社なら、「まあ、する人もいるよね」とあいまいに笑ってごまかすことが多いし、「お客様優先の職場だから」と責任を他にやる回答をする。
私は、プライベートの時間は大切にしたいし、給料に見合わない過剰な仕事で働きたくはない。今働いている会社は、質問した時にきっぱりと「残業はほぼない」と言い切ってくれる、信頼できる会社だった。実際に、定時の三分後にはオフィスから出ることができている。
就活では、強気で挑める部分と、妥協しなければならない部分が、どうしたって出てくる。私は、通勤距離と業務時間を優先させ、給料を妥協した。たくさん働いてきた経験で、私の譲れない部分はそこだと分かった。
私は、良いと思える仕事も、辛いと思える仕事もやった。人から「そんな仕事でいいの?」と言われることもあったし、その逆もあった。つまり、同じ仕事でも適性によって感じ方が全く違う。何が大切かなんて、人の数だけ違う答えが出るだろう。

大切な人・物・事を大切にしていれば「ご縁」はどこかでつながる

そして、結局のところ採用されるのは「ご縁があるから」であるということを知った。
塾講師に採用されたときは、たまたま女子の国語の先生が足りなかったから採ってもらえた。報道局のADの仕事は、一子相伝的な、大学の研究室に伝わる秘伝のバイトだった。先輩との縁がなければ就けなかった職である。今の事務職も、教育業界の経験で就けた部分が大きい。
採用という芽がすぐに出ずとも、それは私が悪いのではない。時期や、人員の「ご縁が巡り合わなかった」だけで、頑張っていればほかの場面で絶対に巡ってくる。意外な人が、意外な人とつながっていたりする。また、ちょっとタイミングがずれただけで面白い求人が出てきたりもする。
大切な人・物・事を切にし続けている限り、『ご縁』は結ばれると思う。切れたと思う『ご縁』でも、どこかでつながっている。それを信じて、私は就活に挑んでいた。