嘘をつく必要はある?答え方が決まっている就活をする意味
就活してる時に思ったことが、「嘘をついてまでどこかの会社に入りたいのか」ということだ。適正診断?も答え方があるようで、こう答えたら悪い印象になるのでこう答えましょうとか、それはやる意味があるのかと考えてしまう。
しかし、周りからしたら「何いってんだコイツ、嘘とかいう問題じゃなくて、その通りに覚えて答えたらいいだけだろ」と思われる。
みんなは右向け右ができるのに、私はなぜ今、右を向かなければいけないのかを考えてしまうタイプだ。そう屁理屈野郎だ。
本当は思ってもいないことをするのは、心がすり減るような感じがする。大袈裟にいってしまえば自分をじわじわと殺すような感覚だ。自分に対する後ろめたさが残る行為だ。
以前の仕事場で、自分の意思や感情を押し殺しながら働いていた時のトラウマなのだろうか。
感じる嫉妬と、浮かび上がる疑問。最低ラインの高さが違う私たち
今の就活のやり方を非難したいわけじゃない。むしろエントリーシートを100枚書いてしまえる彼女が羨ましいし、SPIの問題を軽々と解いてしまえる彼はすごい。これは多分、私の努力不足と自信のなさによる嫉妬なのだろう。人よりも遠回りして、時間がかかってしまう私の問題だ。
それと同時に、「本当に私はあの子たちの様になりたいのか」という疑問が浮かび上がるが、多分違う。いや、なることはできない。生きていく上での最低ラインの高さが違うのだと思う。
競争相手がたくさんいる中で切磋琢磨し、輝く都市部で最先端のものに触れながら文化的な生活を送ることが、あの子たちの最低ラインだ。ストレスが少なく、ゆるゆると自分の生活空間の中を充実させることが最大の喜びの私の最低ラインより、遥か高くにあるのだ。
しかし、そのラインが同じ軸上にあるのかといえば、それは違う。個々人の価値観の軸上にあるものだ。だから、どちらが優れているとかそういうことを言いたいのではない。押し付けあったりしたいのでもない。ただ、屁理屈野郎はそう考えていると言いたかっただけだ。
また、就活を経験して得たこともある。それは自分と向き合う時間だ。向き合うというより「自分を分析する」といった方がいいかもしれない。
縛り付けていた過去は悪いことじゃないけど、孤独になる感じがした
こんな時に自分はこう感じるんだなとか、体調面においてもストレスを受けると胃と肌に出るとか、自分のことがわかってくる。それだけのことなんだけれど、それだけのことを知らないぐらい走り続けてきたんだなと思った。今、これをしないと「いけない」、こうしないと「いけない」といったように自分のことを縛り付けていた。
悪いことじゃない。悪いことではないし、自分を向上させていく意識があって良い。ただ、自分が疲れていることがわからなくて、孤独になる感じがする。
今はなんとなくそれがわかってきたような、まだわからないような感じだ。「このまま休んでていいのか?」「もう少し焦らないといけないんじゃない?」という考えと正直な身体とのせめぎ合いが続いている。
「きっと明日の私が頑張ってくれる」
明日の私に期待をして、ひとまず、寝ようと思う。