ここ数年で変わる「我慢」への価値観。我慢は格好悪いのだろうか

子どもの頃は勉強が割とできる子だったけど、これといった特技なんてなかった。
特にスポーツ。スポーツが出来なさ過ぎて、体育の授業では消えてしまいたいほど恥ずかしい思いも数えきれないくらいした。

しかしそんな私、長距離走は嫌いじゃなかったし、吹奏楽部入部から半年間楽器にも触れず筋トレしかさせてもらえなかった日々もそれなりに楽しんだ。
瞬発力や運動センスはないけど持久力があるのが私の長所という話でもない。
まあ、我慢強いところが長所なのかもしれない、という話だ。

今は、というかここ数年は、忍耐だとか根性だとかいう言葉が古臭いものになっている。
大人しく部の伝統に従って筋トレに勤しんでいた日々の思い出も、もはや美談とは受け取られない。パワハラじゃないかと憐れまれそうだ。

もちろん、嫌なことを我慢して生きていくのはよくない。
学校に行きたくなければ無理に行かなくていいじゃない。今の会社が合わないと思えば転職すればいいじゃない。そういう考えが受け入れられている。

ファッションだって、気が付けばミニスカートとかハイヒールとか、見栄えはいいけど着るためにスタイルを維持しなければならないものは流行らなくなって、体形カバーができる「頑張らない感じ」のものが好まれている。

しかし、自分が置かれている状況にしがみついて、なんとか良い方向に持っていこうと努力すること、自分にストイックになることは悪いことではないし、絶対に無駄じゃない。

苦労がいつか自分の糧になる。達成したいことがあるから、頑張れた

中学時代に吹奏楽部で筋トレに励んだ話に戻る。
吹奏楽は文字通り吹いて音楽を奏でるものだから、まずは肺活量が必要。聴く人に届く音量を出せなければ話にならないので、肺活量を上げるために腹筋、背筋、ランニングといったトレーニングが必要なのだ。

まず音を出せる身体づくりを、というわけで新入生たちは体操服を着て、夕暮れの校舎を必死に走っていたのだ。私運動部に入ったのかなと思いながら。
スポーツに縁のない私は、急激に運動量が増えたことで貧血を起こして通院することになった。
他の子は元気なのになんで私だけ……と思い不安になったし悔しかった。
しかし、部を辞めたいとは思わなかったし、理不尽なことをさせられているとも思わなかった。

みんながトレーニングをして良い演奏ができる身体に近づいているのに、自分が遅れをとることに焦りを覚えた。
早く筋トレがしたい!
私は無意味に苦労をしたいわけでもないし、体調を崩すまで部活動を頑張っている自分に酔っているわけでも賞賛してほしいわけでもない。苦労がいつか自分の糧になると思ったから頑張りたかった。

コスパや効率が求められるけど、泥臭い人がいたっていいじゃないか

私が中学2年生になった春、顧問の先生が変わった。
数学を教えている若くてきれいで優しい先生に。新入生は半年間も筋トレをしなくてよくなった。
入部早々に楽譜を読み、吹奏楽のリズムやメロディーを学び、楽器に触れていた。セーラー服に身を包み、涼しい音楽室で。先生は言った。

「吹奏楽部が筋トレばっかりしててもねぇ。音楽の基礎を学んだほうがいい演奏への近道だからね」
ごもっともである。入部早々歌を歌ったり小合奏をしている新入生たちを見て、もちろん私もうらやましく思った。
しかし、私の新入生時代だって無駄ではないはずだ。
本当かどうかは分からないが、私たちの代は、基礎体力があるおかげで大きな音で演奏できる代だと言われた。

目標を達成するためには、苦労はつきものだと思うし、遠回りだって大いに結構。最短攻略法だとか、効率よくだとか、コスパだとか、サクサクだとかが好まれるし、そういうことができる人が賢いと言われる世の中ではあるが、泥臭い人がいたっていいじゃないか。

遊びたいのを我慢して勉強することや、上手に楽器が吹けるようになりたくて腹筋背筋腕立て各50回することや、行きたくないけど生活が懸かっているし毎日休まずに仕事に行くことは無駄な努力でも愚鈍でもない。かっこわるくない。

我慢強いことが私の自慢できるところ。胸を張ってこう言っても良いのではないか?