突然だけど最近の話をしたい。会社の同じ部署の上司が突然亡くなった。本当に突然だった。
この時点で3回も「突然」を書いているけど、それぐらい信じられないことだった。
まだ1か月も経っていないこの出来事を文章に残しておきたくなったので、ここに記そうと思う。

突然の訃報。3日前に会った上司に、私が言った最後のわがまま

訃報があったのはお昼だった。掲示板でのお知らせで、彼が亡くなったことを知った。
お店の営業中なのに、思わず「え?」と言ってしまった。なぜなら、私は彼に3日前に会っていたからである。

彼は同じ部署の副部長だった。私が1年目の時から面識はあり、私のことを「○○ちゃん」と名字にちゃん付けする唯一の上司だった。
私が体調を崩した時はヘルプに来てくれたり、私がわがままを言っても「もぉー、○○ちゃんだけやで~!」と融通してくれたり、私がスーパーバイザーになった時もアドバイスをしてくれたりした。

先ほど記した3日前の日は、たまたま近くにいたからと、お店に来てくれた。私は異動してきたばかりで、店の勝手がまだわかっていなかったので、心配して寄ってくれたのかなと感じた。

「どう?慣れた?」とまずは質問された。「うーん、まだまだ」と私は答える。
アルバイトさんも現状おらず、異動した店舗には店長の私1人しかいない状況なので、「早くアルバイトさん来てほしいね」という話をした。

「じゃあ、僕もう行くね」と彼が言った時、私は「あっ!トイレだけ行ってきます!ちょっとだけ店番してください!」と言って、トイレに向かった(店長1人営業だとトイレに行くのも一苦労である)。

これが私が彼に言った最後のわがままとなった。

Zoomで行われた追悼式。店を整理して見つけた、上司の名刺

亡くなった理由はくも膜下出血だったらしい。たまたま病院の近くで倒れたので、すぐ処置がされたそうだけど、間に合わなかったそうだ。

この話を聞いた時、「人っていつ死ぬか本当にわからない」と改めて実感した。わかっていたことのはずなのに、父や先代社長の時もそう感じたはずなのに、今回は一番ずっしりと重くのしかかった。

それは年齢を重ねたせいなのか、身近な上司だったからなのか、その両方か。いずれにせよ、この訃報は私の夢ではないだろうか、「ウソでした~!」って彼が言ってくれるんじゃないだろうかと訳のわからない気持ちになった。

コロナ禍ということもあり、お通夜・お葬式には参列できなかった。会社では朝礼時に追悼式がZoomで行われることになった。
彼が写っている写真がスライドとして流れる。社長や部長が別れの言葉を述べる。黙祷する。お店を開けるまでの間だったので10分ほどしかこの式は行われなかったけど、私はずっと泣いていた。

式が終わり、ふとまだ整理できていない箇所に手を伸ばし、彼の名刺を引っ張り出した。

前の店長が休みの日、彼が代わりに入った時に忘れていったものだと思われる。
異動時の引き継ぎの際に前の店長と、「この名刺どうするー?」「えー、いらないよー。今度来たら返しとくわー」と冗談交じりで会話したことを思い出す。

まさかこれが“遺品”になってしまうだなんて、あの時は知る由もなかった。この名刺を1枚、こっそり自分の名刺入れに入れた。

彼が頑張っているのに、残された私たちが頑張らないでどうするんだ

元々1店舗社員1名のスタイルな上に、コロナ禍ということもあって、最近は他の社員ともZoomでしか会わない日々。だからこそ余計に彼がふらっとやって来そうな気がする。

しかし、ついこの間まで存在した彼はもういないのだ。追悼式が終わってもまだまだ違和感があった。彼のご家族を思い出し、「初七日まで終わらせたのかなー」と考えていた時に父が亡くなった時のことを思い出した。

父が亡くなった時、私はまだ高校生だった。
お坊さんは、初七日や四十九日の意味を教えてくれた。初七日、二七日、三七日……7日ごとに、裁判が行われているらしい。つまり、「生きている間にいい行いをしたかどうか」ということだ。

五七日にはあの閻魔大王に会えるらしい。そして四十九日の日に、極楽浄土か地獄行きかが決まるそうだ。だから、こちらでは7日ごとに無事極楽浄土へ行けますようにと「南無阿弥陀仏」とするとの話を聞いた。

この出来事を思い出して、ふと思った。
まだ四十九日が終わってないということは、彼もまだやることがあるんだ。彼ががんばってるのに、残された私たちががんばらないでどうするんだと。
日にち薬とも言うけど、四十九日という概念ってすごいなと思った。

そして、四十九日が終わった頃には、先代社長や私の父も迎えに来ているのも想像した。
父が「初めまして!娘がお世話になっております。」と挨拶したり、先代社長が「あいつの仕事ぶりはどうなのか?」と質問したりするのかなと考えると、悲しいことばかりじゃないかもと思えるようになった。

彼が無事極楽浄土に行って、父・先代社長と会えますように、そして私もその日が来たときは無事再会できますように。
ゆっくりでいいから日常を過ごしていこうと思う。