就職活動とは、実に理不尽なものだとつくづく感じる。
タイトルにある「21年分の15分」は、私が就職活動で感じた最たる例だ。
当時大学3年生だった私は、将来キャリアウーマンになりたいと考えており、早期から就職活動に励んでいた。
昔から初対面の人と話すのが好きだったことや、学生時代に留学を筆頭に様々な課外活動をしてきたこともあって、周囲の就活生に比べて選考通過率がかなり高かった。
応募者の数%しか参加できないインターンシップ選考に合格したり、みんなが知るような大企業のインターンシップの切符を手に入れたりと、特に夏から秋にかけて就職活動は順調そのものであった。
努力した分だけ結果が出る就職活動は、自分にとって全く苦ではなく、むしろいい成長の機会なので楽しいとすら感じていた。
自分で言うのも憚られるが、いわゆる「就活無双をしている優秀学生」だったように思う。
自分が志望する要素が全てつまった企業に出合い、瞬時に第一志望へ
そのように色々な企業に出会っていく中で、私はとある企業に惹かれるようになった。
現在急成長している某メガベンチャー企業である。
就活生人気の高いその企業は、私の周りで同様に就職活動をする友人も多数エントリーしていた。
その中の一人であった友人に「この企業は面白いよ!」と勧められたというありきたりなきっかけから、私も同企業の選考に応募し、運よく1dayインターンシップに参加することが出来た。
正直はじめはあまり深く知らなかったことから、「まあ面白そうだし、とりあえず何か学ぶために参加してみるか」程度の気持ちであった。
しかし、インターンシップに参加して、私は衝撃を受ける。
社員さんの熱量の高さ、取り組んでいる事業の面白さ、企業が掲げているビジョンや大切にしている価値観など、まさに自分が志望している要素が全てつまっていたのだ。
たかが数日関わっただけだが、年月の短さなど当時の私には関係あるはずもなく、瞬時に第一志望になった。
そうして、その熱量を活かし企業研究や面接対策に精を出した私は、その後のインターンシップ参加者に案内される早期選考に合格し、どうにか最終面接までたどり着いた。
ここまで実に3ヶ月、最終面接はインターンシップの選考から数えて6次選考であった。
「ついに最終面接まで来た……。絶対に内定を取りたい。ここの企業で働くんだ!」
そう覚悟を決めた自分は、強い意気込みを持ち最終面接に臨んだ。
私の生きてきた21年間はたった15分で判断され、不合格を受け取った
しかし1週間後、来たのは不合格を知らせる「お祈りメール」であった。
ここで感じたのが、就活は理不尽であるという感情だ。
最終面接の時間はたった15分。しかもコロナの影響もあり、オンラインでの実施であった。
その短い間に一緒に働きたい人と思わせることが出来なかった自分の未熟さが最大の敗因であるが、真っ先にその面接に対して抱いた感情が、
「私の生きてきた21年間や私がどういう人間かということが、たった15分の数問で判断された」
ということへの悲しさや怒りだ。
今の時間で私の何がわかったのか。どんな人間だと判断されたのか。
人生をかけた一瞬であったのに、受け身でしか説明できないことへのもどかしさ。
色々な感情が押し寄せてきたが、今となっては負け犬の遠吠えであるなあと自分でも感じている。
企業側の事情も重々承知しているが、どうしても理不尽だと私は思う
むろん、企業側の気持ちを考えると、やはり膨大な就活生を選考していく中で一人にそれ程時間やコストをかけられないことは明白であるし、短い時間でもどんな人間性であるか判断できるということも重々承知している。
しかし、この就職活動という学生にとって人生の大きな転換点となる機会に、それがスタンダードになっていることはやはりどうしても理不尽だと私は思う。
学生の能力や話すスキルを重視する就活。
それよりも、その人はどんなことを考えていて、どんな一面があるのかをもっと多角的に知るべきではないだろうか?
私はその後、他の企業から内定をいただき、来春から新卒として働く予定だ。
あの時受かっていれば、この企業で入社を楽しみにしている今の自分もいなかった訳で、結果的に収まるべきところに収まった現状は、自分にとって良かったのかもしれない。
しかし、きっとこの経験はこれから先もふとした瞬間に、淡い記憶として思い出すだろう。