中学校の制服は紺色のブレザーだった。膝下より長い野暮ったいスカート、鎧のように重たいジャケット、えんじ色のちっとも可愛くないリボン。私個人の趣味では一欠片もなかった。
しかしあの人に憧れて、憂鬱とは真逆の感情で身につけ、毎日登校していた。

勉強が全てだった小学生時代。ガリ勉というレッテルだけが残った

小学生だった頃、私は母親に洗脳されていた。幼い頃はおよそ親の価値観が絶対的であり、行動指針となっているということ以上に、である。

お勉強こそこの世の真理。全てのテストで百点を取る。放課後はすぐに家に帰り宿題。長期休暇に友人に遊ぼうと誘われたら、勉強があるからと断れ。
そういった言いつけを律儀に守り、ただでさえ少ない友人を減らし続けた六年間。私に残ったのはガリ勉というレッテルだけ。

陰鬱さがまとわりついて離れなくなったのは、いつ頃からだったか。
思い出せもしないが、つまるところ中学生となった私は、根暗で自己の有りように違和感を覚えつつも脱却できない、学校のお勉強だけが得意な人間だった。

初めての友人にのめり込んだ。恋人になりたての学生かよ、と今なら思う

あの人は私と違う小学校出身のクラスメイトだった。黒縁眼鏡がよく似合うショートカットの子。規則正しく制服を着用し、学校の成績がとても良く、そして近しい私に話しかけてくれた。
断っておくが、近しいとは成績一点においてである。私は母親の操作するままだった、人にあらずな存在だったのだから。
あの人にとって私のどこに価値があったのか分からないが、二人は友人と呼んで差し支えない関係にすぐなった。そして友人らしく、私はあの人を家に遊びに誘った。無論、凝り固まった思考から、私より成績の良い子と勉強会をするという名目を母親に告げた上で、だが。

初めて友人を招き、他愛もない会話をした。時間が経つのが一等早く、自室から玄関まで見送るのがほんとうに名残惜しくて。
今まで作れなかった自己にやっと取り掛かれたのだろう。他者との関わりで比較、検証することでしか自分の考えなど理解できない。その機会をようやっと手に入れた私は、あの人にのめり込んだ。

休み時間はあの人にべったり。放課後は週に何度か、私かあの人の家へ。休日も同様。会えない日はメールを送る。
恋人になりたての学生かよ、と今なら思う。重いしうぜえ、と諌めたくなるが、過去には戻れない。救われるのは、あの人は嫌がらずに相手をしてくれたということ。都合良くバイアスをかけていると思われるだろうが、案外そうでもない、と未だ考えている。
だって休み時間はあの人から私の席に来てくれた。あの人の自室で頭を寄せて、ひそひそ話をした。私の本棚を見て目を輝かせ、共に書籍の頁をめくった。いつも中学生らしくハグや手を繋いできて笑っていた。

私は押し倒された。切羽詰まった声が私の名前を紡いでいる

あれは冬の日と記憶している。いつものように放課後、じゃあ今日は私の家と決めて通学路を二人で歩いた。
半歩前を歩くあの人の膝丈のスカート、雪のちらつく中では頼りなく感じられた。分厚い黒タイツを穿いているが、冷え切っているはず。自室に着いたらすぐ石油ストーブを焚き、使いはじめの独特な匂いが部屋に漂った。そしてベッドへ横並びに座る。

私は押し倒された。あの人の、切羽詰まった声が私の名前を紡いでいる。
中学一年生。そういった知識はある。でも、同性同士でなんて学校で習っていない。
正直、あの人に抱いていた感情は恋と表現して良かった。夜寝る前にあの人を想った事など何度もある。けれども夢想だ。現実にどうこうなろうなんざ、母親お勉強固定観念から脱却できていない私にできるはずもなく。
あの人は私より背が八センチメートル低い。覆い被さっているその身体を両腕で抱きしめたら、それ以上は何もなかった。
その後どうやって一人になったのか記憶にない。気づいたら頬がほてるくらい暖かい部屋、それだけ。

冬が終わり二年生に進級し、私はあの人とクラスが離れた。物理的な距離に倣い、夏になる前にはもう話しもしなくなった。
記憶とは残酷で、右の手のひらから、あの人の制服越しの体温が消えない。