私が「健康的なアメリカ人の匂い」と呼んでいる匂いが、私の忘れられない匂いだ。
その匂いを初めてかいだのは、高校2年生の時だった。
母とやり取りしながら決めた、将来の希望とアメリカ留学
高校に上がる時、自分の学力では微妙に足りない地域で一番の高校に、部活動の推薦で入った。
部活をやりたくて入ったので部活にばかりかまけていた私は、当然勉強にあまり着いて行けなくなり、どの教科も再テストの常連だった。
「高校は部活を頑張り、大学は東京に出ていきたい」
小さい時からそう思っていた私は、望み通り高校では部活を頑張って、部活が終わったらどうにかして大学に行き、東京で過ごせればいいなと思っていた。
しかし、母にとってはそう簡単な話ではなかった。
大学に行くのには当然お金がかかる。
どうせ行くなら目的を持って、なるべく「いい大学」に行って欲しいと何度も私に言った。
「いい大学」の定義はもちろん偏差値。
今なら偏差値が全てではなく、きちんと行きたい、勉強したいことのある大学に行ければいいだろうと反論できる。
しかし、当時は行きたい大学も、やりたいこともなく、かといって「いい大学」という物言いに納得もしておらず、成績の話になるといつも母と口論になっていた。
何度も口論をするうちに、私の中で母とのやり取りをうまくやり過ごすための「将来の希望」が固まってきた。
大学は東京に行き、英語や国際社会などの勉強をし、いずれ留学に行き、将来は日本と外国を繋ぐ仕事をしたい。
そうして出来上がった将来像は、最初は母を納得させるためのものだったのに、だんだん本当に叶えたい夢になっていた。
母も私の目標には納得したものの、変わらず忙しい部活と全く伸びない成績に、私も感じていないような焦りを募らせていたようだ。
ある日、私が部活が終わって学校に帰ると、「あんた、留学行く?」と聞かれた。
大学生になったら、とは思っていたので、「うん。いつかは」とこたえると、「来年はどう?」とちんぷんかんぷんな話が降ってきた。
話を聞くと、私に内緒で塾の申し込みに行ったら、塾長に「苦手なものを無理に伸ばすより、好きなこと、得意なことをいっぱい伸ばした方が将来のためになる」と諭されたようだ。
私の地域では、高校生のうちから留学に行くなんてそんな話は聞いたことがなく、全然想像もできなかったが、とても魅力的に感じ、「うん」と二つ返事でこたえ、そのまま次の年の春に1年間、アメリカへ留学することになった。
いつだって香っていたのは、「健康的なアメリカ人の匂い」だった
なんとか留学したものの、すぐに1年間ホームステイを受け入れてくれるお家に行く訳ではなく、まずは英語に慣れるための練習をする手伝いをしてくれるお家に2週間、ホームステイすることになっていた。
そのお家でたびたびかいでいたのが、ホストマザーや、キッチンからたびたび香っていた「健康的なアメリカ人の匂い」。
甘いバニラとすっきりした花の匂いが混ざったような香りだ。
爽やかな朝の陽を浴びた草のような、午後3時頃のすこし切なさが混ざった時間の光を受けるキッチンを眺めている時のような、深夜に目が覚めたら月の光をベッドの中から感じている時のような、ちょっと胸を締め付けるような匂い。
私にとっては、この留学が初めての海外だった。
たったひとりで、日本語が通じない国に1年間も留学するのは、とても緊張した。
アメリカに着いた最初の日は、英語を聞き取るので精一杯でyesとnoしか言えなかった。
英語は勉強の中では得意な方で、英会話の授業やリスニングのテストは苦に感じることなく過ごせていたのに、とそこそこへこんだ。
その家にいる間は、5歳と3歳の男の子2人が私の話し相手だった。
語彙レベルや話す速度が私に合っていたようで、2人とはすぐ仲良くなり、好きな食べ物、好きなテレビ、好きな動物、好きな色、いろんな話をした。
うまく意図が伝わらなくて夜に部屋で1人泣いたり、悔しい思いを奥歯で噛み締めたり、そういう事が続く2週間だったが、時が経つに連れて買い物に行ったり、どこかへ出かけたり、そういう時にホストマザーと話すのにもだんだんと慣れていった。
ホストマザーは若くて活発な姉御タイプの人で、私の苦しさを理解して、よくキッチンやダイニングで話を聞いてくれていた。
そこでこの匂いに包まれると安心できた。
辛かったけれど大切な日々。甘い匂いが、私の記憶を呼び起こす
「健康的なアメリカ人の匂い」はバニラと花を合わせたような匂いなので、再現が簡単な匂いなのかもしれないが、その匂いはその後1年過ごしたホストファミリーの家や、日本に帰ってきてからも時々感じることがあった。
空気が冷たくなってきた秋の夕方や、しんとした床が冷たい冬の朝、気づくと私の周りにたゆたっている、懐かしい匂い。
そんな日は決まってあのホストマザーの笑顔とキッチンに差し込む陽の光を思い出す。
あの日々は確かに辛かった。
けれど優しさと暖かさに包まれて、私はどこでも生きていける、がんばっていけると思えたし、あの日々に私は今も支えられている。
私の原点になるような大切な日々を、忘れてはいけないという神様からのメッセージなのかもしれない。
苦しく辛い、もどかしい日々を支えてくれた甘く優しい香りが、私の忘れられない匂いだ。