これは、約15年前。私が小学生の頃の話だ。
学校の近くに寺があった。校門を出て、信号のない横断歩道を渡ってすぐの場所だ。寺の住職はいつも法衣を着ていて、お香のにおいを纏わせ、奥さんと思わしきおばあさんと共に、下校中の私たちを優しい笑顔で見守るのだ。

そして時折、私たちのような小学生が集まると色々な話をしてくれる。皆、その時間と住職とおばあさんと、寺が大好きだった。
その寺は広く、どっしりとした黒柿色の木造の門に囲まれており、そこから道路に飛び出すように大きな樹があった。夏には空を覆うかのように濃緑の葉を揺らし、その影で涼むのだ。

嗅いだことのない香り。目に飛び込んできたのはオレンジの花畑で

「もう秋じゃんね」
「あったかいような、寒いようなね」
秋のある日。下校中の私は校門を出てすぐ、むわっとつよい匂いがするのに気がついた。私は幼い頃から人一倍匂いには敏感だからこういうことは多々あったものの、隣を歩く友人も「なにこのくさい匂い」と気づいた。
しかし本当に臭いわけではない、海外の香水のように強烈で嗅いだことのない香りを、私たちは"くさい"と表現するほかなかった。

「臭いかい?」
横断歩道を渡りきったところで、私たちは寺前にいた微笑むおばあさんに話しかけられた。住職の奥さんだ。住職は脚が悪いので、おばあさんしかいない日もあった。
私はハッとした。おばあさんのお香の匂いなのではないかと思ったからだ。

「臭いってわけじゃなくて、なんか、嗅いだことない匂いっていうか……」
小学生なりに気をつかい、私が言葉を考えているとおばあさんは「これだよ」と人差し指で空を指した。つられて上を向いた私たちは思わず「わあっ」と驚きの声をあげていた。
おばあさんが指したのは空ではなく、オレンジの花畑だったのだ。
「金木犀っていう花でね。秋になるとこうやって花を咲かせて、この匂いがまあ強くてねぇ。私にはいい匂いだけど、皆には臭かったかな?」

匂いの正体の名は「キンモクセイ」濃い甘い匂いで胸がいっぱいに

キンモクセイ。正体を知ってすぐ、「いい匂い!」と声を張った。知らないものに気づけた嬉しさと、オレンジの花が広がる美しい光景に飛び出た言葉だったが、おばあさんのくしゃくしゃ笑う顔を見て安心した。

花の形や匂いをもっと知りたくて私が背伸びをして見ていると、おばあさんは背の低い枝から花をいくつかとり、両手に乗せて「ほら」と見せてくれた。
花は一つ一つがとても小さく、星のように花弁をひらいていて、鼻を近づけると濃い甘い匂いで胸がいっぱいになった。

「これ好き!キンモクセイ!」
「私もキンモクセイ好き!」
「そう?良かったねぇ」
私の頭の中で、おばあさんのあたたかく優しい笑顔と、金木犀の匂いが結ばれた瞬間だった。

一生忘れられない。金木犀の匂いはあたたかく優しい匂いだった

そして今。私は、虐待を受けた子どもと関わるお仕事をしている。
様々な環境で育ってきた子どもたちだが、大人の優しさに触れてこなかった子どもが殆どだ。まだまだひよっこ職員の私だけれど、トラブルが絶えないこの場所で、優しさを、人のあたたかさを通して、人は一人で生きても独りではないことを教えたいと常々思う。

私は未だにその横断歩道を通ると、金木犀とおばあさんを思い出す。もう寺前で住職やおばあさんと出会えることはないけれど、一生忘れられないだろう。
金木犀の匂いは、とびきりあたたかく優しい匂いなのだ。