学歴とか資格とか収入とか、目に見える成果は分かりやすい。もちろん誇らしいものだと思う。でも、ふとした瞬間に自分を支えてくれるのは、他人から見たらどうでも良いくらい小さなことの積み重ねだったりする。小さなことの積み重ねは、カバンのポケットにひっそり佇むお守りみたいな存在だ。今のわたしを支えてくれているものは何だろう。それはやっぱり書くことだ。

「過去の棚卸し」をテーマに記憶を掘り起こし、エッセイにまとめる

この1年弱で書くことを習慣化できた。これは小声で自慢したいことかもしれない。「過去の棚卸し」をテーマに掲げて、今年の1月からnoteでの投稿を始めた。わたしみたいな人間にはお堅い自己分析は向いていないので、過去の出来事をエッセイとして書くことにした。エッセイを書くために始めたはずのnoteは、ゆるい雑記帳になっている。まあ、楽しく続けられているので良しとする。

そして、2月からは「かがみよかがみ」に投稿することにした。毎回テーマに合う経験がないか、記憶を掘り起こす時間が楽しかった。仲が良い友人であっても話さないことってある。むしろ仲が良いからこそ話さないこともあると思う。「かがみよかがみ」では、そういう話題を書けたような気がする。『記憶の棚卸しのために書いたエッセイが、読む人の小さな光になれたら』というエッセイの中でも書いたけれど、読んだ人から感想をもらえることが本当に嬉しかった。

濁った水槽の中でふわふわ漂う記憶を救う作業は時に痛みを伴うけど

濁った水槽の中でふわふわ漂う記憶。そんな記憶をすくうようにして、過去の出来事を丁寧に書き留めていく。それは時に痛みを伴う作業だった。泣きながら書くこともあった。書いた直後には妙に気持ちが高ぶる。でも、少し時間が経つと、書かない方が良かったかも、なんて後悔し始める。最終的には、ポジティブな意味でどうでも良くなる。

複雑に絡み合った感情がデトックスされ、やがて成仏するのだと思っている。書くことの習慣化で、いらない感情を手放すのが上手になった気がする。他人からは絶対に気付かれないような地味な能力だけど、わたしにとっては大切なことだ。特に見せ場もないので、こっそり自慢しておこうと思う。

蛇行しながら、マイペースに小さなことを積み重ねる自分を誇りたい

最近、思わずガッツポーズを取りたくなるような出来事があった。文章での発信を通して、好きなものを友だちに伝えられたのだ。これは声のボリュームを上げて自慢したい!

ついこの前、長年愛用している手帳に関する文章をnoteに投稿した。すると、友達2人が手帳仲間になってくれた。他の人から見れば、たった2人かもしれない。そして、利益になるわけでもない。だけど、わたしにとっては嬉しい出来事だった。手帳愛をただ書き散らかした文章だけど、ちゃんと届いてくれるのだと思った。書くことや発信を習慣にしたから、起きたことだとポジティブに捉えている。

あの子みたいにギラギラした野望を持てたら良いなぁ。そんな風に羨ましく思うこともある。確かにギラギラした人は加速度的に成長していく。でも、わたしは蛇行しながら、マイペースに小さなことを積み重ねていくタイプだ。文章を書くことで、自分にとって嬉しい出来事が増えていく。それだけで満たされるし、ちょっと自分を誇らしく思える。だから、これからも書き続けていきたい。