唐突だが、私は自慢できるレベルのネガティブ人間だ。幼い頃からネガティブ思考だったのかと聞かれると、そうではない。

幼稚園の頃は自分が一番可愛かったし、小学生の頃は本気で何にでもなれると思っていた。いつからこんな風になってしまったのだろうと思うほどに、私の中のネガティブは年を重ねるにつれて、共に成長している。

近しい人が心の病を患い、私は自分のことばかり責めるようになった

きっかけは、近しい人が心の病にかかったことだった。はじめは自分のことばかりを責める症状だけが見られたが、次第に些細なことで周りの人にも腹を立て、苛立ちをぶつけるようになった。

例を挙げるとすれば、鼻歌を歌えば耳障りだからワンアウト。付き合いの集まりからの帰宅が遅ければ、ずるいからとツーアウト。寝違えて首が痛いとこぼすと、もっと辛い人がいるからとスリーアウト。3つアウトを取られれば、罵声というデッドボールが止まらなくなる。

症状のせいだと分かっているからこそ言い返せない。どれだけ理不尽な当てつけや文句でも、黙って謝るか、聞き流すしかなかった。
だが、人間とは不思議なものだ。一年も経てば、自分のせいでまた怒らせてしまったと思うようになる。いつしか私は、怒らせた自分が悪い、自分が余計なことを言ったからと考えるようになった。「できるだけ波風を立てないように」それが私の毎日の目標だった。

スーパーネガティブ思考な私。でも、時に「役立つこと」もある

それ以来、日常生活にもその思考は影響した。アルバイト中、社員さんが何やらピリピリしている日は、自分が何かしてしまったと思う。友達の機嫌が悪いと、自分のひと言で怒らせてしまったと発言を振り返る。どれだけ仲の良い友人と過ごしても、自分といると気分を害さないかとずっと怖い。

的外れなことを言ってしまったら嫌われる、怒られると考えると、意見を言うのも躊躇った。カウンセリングで、スーパーネガティブ思考とお別れしようとしたこともあったが、かなりしぶといそいつは、誰かと出掛ける度に疲弊し、遊びに行くことすら億劫になるほど、私の中にしっかりと根を張って住み着いていた。

しかし、そんな私のネガティブ思考も時には役に立つことがある。それは「とんでもなく人に優しく出来ること」だ。そもそも、この思考を持つようになった原因を振り返っても分かるように、私は基本的に誰かがマイナスな感情を抱いている空間が苦手だ。

だからこそ、プラスの感情でいて貰うため、周りの人の様子をかなり観察する。アルバイト先に落ち込んでいる人がいれば、退勤時に差し入れをしてから帰宅する。友達が失恋をして泣いていたら、疲れていても落ち着くまで話を聞く。逆に、嬉しそうな人がいたら何か良いことがあったのか話を振ってみる。

ネガティブ思考は辛いけど、私だからこそ気付けることもたくさんある

私の毎日は、減点方式だ。誰の気分も害さなかった日は「今日は何事もなく一日を終えられた」とほっとする。
逆に、ミスをした日や落ち込むことがあった日は「やってしまった」と涙する。泣く用のプレイリストが音楽アプリに常備してあるくらいだ。

ネガティブ思考でいる日々は正直辛い。何でこんなことになってしまったんだろう。こんなはずじゃなかった。何にでもなれそうな、今の自分になる前の頃に戻りたい。こんなことを定期的に考える。
何も気にせず遊びたいし、他の人の顔色を伺って我慢したくない。このエッセイを書きながらも、色々な思考が巡って目に涙が溜まる。

だけど、こんな自分だからこそ気付けることもたくさんある。誰かの辛い感情にすぐに気付けるし、自分のようになって欲しくないと誰かのために一生懸命になれる。
この苦しいくらいのネガティブ思考が誰かの役に立てたとき、「自分やるじゃん」と私ははじめて自分を肯定できるのだ。
いつか、その肯定が積もり積もってポジティブ思考になって返ってきてくれる日を願って、
私は今日も自慢のネガティブ思考と優しさで、しぶとく生きてやろうと思う。