就活生、それはこの間までの私のことである。そして、コロナ禍での就活二期生でもあった。
人生で初めて経験する就活に加えて、前代未聞のウイルスに翻弄される毎日。
正直、就活準備を始めた三年生の頃は不安で仕方なかった。ちゃんと就職できるか以前に、まだ自分のやりたいことも将来のビジョンも何も分かってなかったのに。

就活がコロナ禍でよかった。ほぼ全ての説明会がオンラインだった

「コロナ禍での就活は大変だったか」
この質問に今、就活を終えた私が答えるなら、もちろんイエスだ。

でも、「就活がコロナ禍でよかったか」と聞かれてもイエスと答えるだろう。
これは、多くの就活生とは真逆の回答をしていると思う。
もちろん制限が多い就活で、不利益を被ったことも一度や二度ではない。
だけど、私にとってコロナ禍での就活は間違いなく都合がよかった。

コロナ禍での就活でよかった理由の一つが、「私が地方就職を望んでいること」だった。
いわゆる「都会」に住んでいる私にとって、希望する「地方」へ行くのに三時間はかかる。
この時間を全ての会社に使っていては、本業の学業もままならない。
それに加えて、就活にはお金がかかると聞き、必死に貯金をしていたものの、気づけば激変していた生活で、安心できるほど余裕のある貯蓄はできていなかった。

そんな中、リモートやオンラインという言葉が飛び交うようになった。
コロナ禍二年目の就活も例にもれず、ほぼ全ての説明会がオンラインを採用していた。

これは、お金だけでなく、時間と体力さえもない私にとって絶好のチャンスだった。
少し気になるな、程度の会社でも、わざわざ現地に赴かずに自宅から会社の実情を知れるのはとてもありがたかった。
いつもなら絶対に調べないであろう会社や業界のことを知れるいい機会になった。
言うなれば、コスパ最強就活ができたわけだ。

「コロナで就活なんて大変でしょう」。他者に比較されることもなかった

もう一つ、就活がコロナ禍でよかった理由がある。
それは、「比較対象が一年分しかないこと」だ。
人間は比較することにより、優劣を決めて自分の意見を出す生き物だと思う。

だから、就活に関して、
「近所の○○さんところの娘さん、就職先決まったらしいけど、あなたはまだなの?」
なんて言われることもあるのではないか。

悪気がなかったとしても、他者の勝手な比較によりつけられた優劣の先で、就活に、未来に、認めてくれる人がいない社会に絶望し、追い込まれていく人が一定数存在してしまう。

先に言っておきたいのが、比較すること自体は悪いことではない。私の受け取り方による違いなので、あくまでも状況の紹介である、ということを念頭に置いてほしい。

私の場合、追い込む状況を作りかねないのがアルバイト先の人たちだった。
私が普段一緒に働いている人たちは、私の母親世代の人が多い。従って、娘さんや息子さんも、数年前に就活を終えた人が多いのだ。
ふとした会話の中で、私が学生で就活中であることを伝えると、その時点で自分の娘、息子のときはどうだったか、が比較対象として浮かぶ。

けれど同じ土俵で比較できない唯一の条件がある。
それが、「コロナ禍での就活を経験しているか否か」である。
この条件に当てはまる人は、今社会人一年目の年代だけなので、途端にほとんどの人が比較して話を進めることができなくなる。
すると「コロナで就活なんて大変でしょう」と労わってくれる。

コロナ禍の就活は最低だと思う人もいるだろうけど、私には合っていた

それを聞いた私は、その言葉を素直に受け取り、変に焦ることなく、またその人との関係も悪くならずに、就活を私のペースで進めることができたのである。
これはのんびりやりたいという私の性格上の考えかもしれないが、間違いなくコロナ禍でよかったと思える理由の一つなのである。

ここまで私がコロナ禍の就活でよかったことを二つ紹介したが、人によってはもっといいことたくさんあるだろうし、逆にコロナ禍での就活なんて最低だったと思う人もいるだろう。
でもそれでいい。
私の譲れない条件と性格に、ただこの状況が合っていただけだから。