ふとしたときに鏡を見ると、そこに母がいてはっとさせられる。

映っているのは、もちろん自分なのだけれど、何の因果かしら子どもの頃の記憶の母がそこにいる。おかしな感覚である。なぜなら、私たちは、顔形が全く似ていない。

品のある顔立ちの母は、色白で小さくいかにも守ってあげたくなるお嬢さん。内気で引っ込み思案なところは、愛嬌を振りまくよりももっと可愛げがある。勝気で常に攻めのスタンスの私とは、いろんなところで違う。

例えば、母は苦手そうなものには、手も白黒もつけない。私は何でも咀嚼してみて、好き嫌いをはっきりさせる。悲しいこと悔しいことがあったとき大声で泣く私の行動は、泣かない母には違う文化だ。

母との関わり方は異なれど、丁寧に分けられた三姉妹「三等分の愛」

私は、美しい姉と妹に囲まれて育った。二人とも物静かで柔和だが、芯がある。二人が言わない面倒なわがままを聞いてもらっても、二人には言わない特別な褒められた方をしても、母の最も重要な存在になれたと感じたことは一度もなかった。

それでは他の娘たちと、どんな関係性でいたのですかと聞かれたら、私の目に見えていたのは、三者三様の結びつきだ。姉は、長子らしくバランスがいい。母とも付かず離れずで、細くも太くもない絆を脈脈と続けている。一方、甘えん坊の末っ子らしく妹は、母を強く欲しがった。必要とされることに母自身やりがいを感じていたと思うし、何よりいつも近くに、一緒にいた。

関わり方は異なれど、丁寧に切り分けられた三等分の愛であることをいぶかしむ余地はない。卑屈な思いだってしていない。それでも私自身が、一番に愛されるべき存在であるとどうしても信じることができなかった。その理由はいくつも思い当る。

のぞきこんだ鏡の中には、私がずっと求めていた「母」が映っていた

かんしゃく持ちで、負けず嫌い。名前も見た目も男の子と間違われることが何度もあった。どうせなら、そっちの性に生んでくれと恨みがましく神様に伝えたこともある。いたずら、けんか、自分でもうんざりさせるくらい困らせた。弱みを晒すようで気恥ずかし、真っ直ぐ甘えることもできなかった。そんな可愛くない私が、あんなに素敵な女性に受け入れられることがあるもんか。

そして、真っ当な愛を受け止めるということは、すなわち嫌いなところもひっくるめ自分自身を認めてあげることのようなのです。こそばゆく、とんでもない。だからこそ、彼女の優しさを疑った。

そんな母と娘のとびきりのつながりは、娘がずいぶん遠くまで離れて明らかになる。娘は社会人になり、上京した。いくつかのしがない悩みをなんとなく抱えながらも、おかげさまで人並みに幸せな毎日を送っている。いつも通り土曜は美術館で過ごし、日曜は彼とデートをする。

彼と日比谷で待ち合わせ、離ればなれの寸分を惜しみつつも化粧直しに席を立つ。色が欲しい口元のためにのぞき込んだそのとき、鏡の中には母がいた。そのとき、私は知った。私が母にずっと求めていたものは、すべて与えられてきたものだ。望んでも手に入るわけがない、だってもう手にしているんですもの。

私の中に深く刻み込まれた「母の愛情」は、自信になっていくのかも

子どもの自己肯定感は、3歳までの母親との関係性に左右されると聞いたことがある。娘の中に深く刻み込まれた母の愛情は、自立した大人の女性になろうとするとき初めて自信という形でその効力を発揮する、かもしれない。

母は読書家で、こっそりと物を書いていた時期もある。独特な言葉選びは、一見くせのなさそうなそのあり様を裏切る。もちろん、前向きな意味合いでね。よその人が知らない母の顔もすべて、今までもこれからも誇らしく思う。

母を愛しく思うように、自分のことも愛し尊重できたなら。きっと二つの像が重なり、自分を絶対的な一番手にできるのでしょうね。

今日で、28になりました。私を選んでくれてありがとう。
いつかのあなたと、その中にぐっすり眠る私に祝福あれ。