思春期の頃、自分が平均よりかなり不細工な顔なのだと知った時の気持ちは、妻となり、母となった今ではあまり思い出すことができない。

二重になれば幸せな恋愛ができると信じて、高校1年の夏に整形をした

容姿でひどいイジメを受けたことはないが、「お世辞にも可愛いとは言えない」レベルであった私は、高校1年の夏にプチ整形を受けた。二重になりさえすれば、幸せな恋愛ができると信じていたが、そうはならなかった。夫と出会わなければ、結婚も一生涯出来なかったかもしれない。

私は見た目のコンプレックスもあって、顔の整った外国人に昔から惹かれることが多かった。でも、まさかマッチングアプリで知り合った外国人と2度デートしただけで結婚するなんて、過去の私に言ったら驚くだろうし、信じないだろう。

夫には知り合った最初の頃に、整形したことは伝えてあった。そして、マッチングアプリあるあるで、お互いの写真を送り合うわけだが、不細工な私は自撮りする習慣がなく、友達も少ないためろくな写真がなかった。

見られたもんじゃない……と我ながら思うスッピンの写真でも、「君はどのグループの中でも1番可愛いね」と褒めちぎる夫。この夫、審美眼が少しおかしい。

よく外国人に好かれるエキゾチックな顔とかヒラメ顔とかではなく、吊り上がった細い目に低くて上を向いた鼻、おまけに前顎突出もある私に、元カノもそっくりだったのでそれを悟った。とにかく、世界中に何人いるか知らないが、自分のことを心から可愛いと思ってくれるこの様な人と出会い、私の心はかなり救われた。

子どもが産まれる際、私に似ないで容姿は父親に似ますようにと祈った

問題は、子どもだ。遺伝子は騙せない。私のように醜い子どもが産まれたら、私はその子を愛せるだろうか?

ああ、かけらも私に似なくて良いから、どうか容姿は父親に似ますように。そう祈り続け、産まれた子の目は明らかに一重だった。

しかし次第にむくみがとれ、今では父親そっくりのぱっちり二重だ。どれほど母親として喜ばしいか……と思ったが、そんな単純な気持ちではなかった。

妬みや自慢といった、恐れていたような感情はない。あまり理解されないかもしれないが、娘がハーフであるがゆえに容姿を持て囃されたり、特に目を褒められると、小さな絶望感を感じるのだ。美醜で人に対する扱いや態度が変わるこの世界に、私の娘も生まれてしまったのか、と。

娘へ。私にとってのあなたの父のような人が、あなたにも現れますように

娘はまだ1歳だ。褒めてくれる人に悪気は当然ない。また、社会人にでもなれば容姿の価値なんて二の次といえるかもしれない。

それでも、それでも。娘の顔の彫りが深い、目がぱっちりだと褒める人は、私のような見た目の子どもには、何と声をかけるのか。何と言って褒めるのか。

娘よ、あなたが将来整形したいと言ってきたら、私は反対はできない。私など、母になってもなお外見コンプレックスに囚われる時があるのだから。

だけれど、願わくば私にとってのあなたの父のような人が、あなたにも現れますように。あなた自身さえ受け入れることのできないあなたを、心から受け入れ、愛してくれる人が。