「稲葉って怒らなそうだよね」
「稲葉ってキレたことあるの?」
よく言われる言葉。
その度に、「え~そんなことないよ~」「私だって怒るってw」なんて言ってたけど。あれ?私怒ったことあったっけ?……思い出せない。
ムカつくことなら沢山ある。それも数え切れないくらい。だけど、怒れない。

中学生のとき、うるさい教室でキレた同級生を見て、私は何かを悟った

学生時代、キレると机を叩いて怒鳴る同級生がいた。中学校時代、私立中学に通っていた。受験期、ほとんどが内部進学者で、外部受験をする人は私を含めクラスに数人しかいなかった。
試験が迫る2月、授業中和気あいあいとした凡そ受験生とはかけ離れたムードがクラスを漂っていた。きっとあの時、私はすごくイラついていた。
毎日耳栓を常備して勉強していた。授業中、教師も生徒と一緒にユニバに行く話で盛り上がっていて、うるさい教室を注意する気もない。あまりにうるさい時は、プリントとシャーペンを胸ポケットにしまい、「お腹が痛いです」と嘘をついてトイレの個室で勉強していた。
そんな中、その子はキレた。その子は内部進学者で、いつもは授業中、ワイワイ話している子だった。その日違ったことは、その日配られたプリントが、その子が好きな問題だった事だ。
いつもはうるさいその子が、いきなり机を叩いて、「うっせーんだよ、お前ら!!!」と怒鳴った。その後、1時間ぐらいキレていた気がする。シーンとする教室。コソコソと至る所から聞こえてくる声。
「あの子だっていっつも喋ってくるくせに」「何様だよww」
それを見て、私は何かがスーと引いていく感覚を覚えた。なにかを悟ったと言ってもいいかもしれない。

怒るのはめんどくさい。それは諦めにも似た気持ちなのかもしれない

“怒る”ってめんどくさい。自分の都合で、怒鳴って、威嚇して相手を思い通りにさせようとする。そして周りはその人を嫌う。それが怒るということなら私はしたくないと思った。
だからそれからも、どんなにムカついても、イラついても、「そういう子なんだな」と思って、スーっとひいていく。
諦めにも近い気持ちだったと思う。酷いことをしてくる相手に怒る労力が無駄だと感じていたのかもしれない。だけど大人になって思う。怒りを表現しないということは、自分を大切にしないということだということを。
ひどい仕打ちに声をあげないということは、それを甘んじて受け入れるということではないか。自分を卑下してくるやつを否定しないということは、自ら自分を卑下しているのではないか。

大人になってわかった。怒るという行為は、自分を守るためにある

中学の時、本当はすっごく怒っていた。受験期なのに授業中に騒ぐ教師や生徒に、どうして周りに気を配れないのかと詰め寄りたかった。
だけど、そんなことをしても無駄だと、自分の気持ちを押し殺して、暗いトイレで一人ぼっちで勉強していた私はきっと私自身を大切にできていなかった。
怒るという行為は、自分を守るためにあるのだと、大人になり色んな経験を積み重ねて、ようやく理解出来た気がする。
正直、怒るにはパワーがいる。だけど、そのパワーは自分のために使うことが出来るパワーだ。きっとそのパワーを使わなければ、どんどん自分を蔑ろにしていくだろう。
次、なにかあった時怒ろうと決めた。きっと周りは嫌な顔をするだろう。それをみて私も、「あ~もう我慢すればよかった」と後悔するかもしれない。だけど、もう自分で自分を傷つけたくはないから、私は次怒ることに決めた。