私は、やればできる。
それに加えて、記憶力が特殊能力並みによい。
2~3歳からの記憶を、結構鮮明に覚えている。
やる気がないうちは腐っていて、どうしようもないのだけれど、きっかけさえ掴めれば自分でも信じられないほどの結果を残す。
意図せずつけたテレビで放映されていたのは、フィギュアスケートの試合
中学時代、私は頭が悪い層に分類されていた。テスト勉強をしたことがなかったし、授業中は別のことを考えていた。
特に行きたい高校もなく、どうでもいい気持ちで適当な女子高に入学した。
転機は、高1の学期末テスト2週間前に訪れる。その当時、ソチ五輪開催真っ只中で、どこへいっても日本のメダル獲得数の話であふれていた。
男子フィギュアスケートフリーの試合の日、東京には大雪が降った。
交通機関が機能しなくなることを理由に、授業は3時間目で打ち切りになり強制下校となったあの日、学校から早めの帰宅をして、私は長い昼寝をした。
目が覚めたら時計は深夜の1時を指していて、暇つぶしにつけたテレビではフィギュアスケートの試合が放送されていた。
意図せずにリアルタイム視聴をしたフィギュアスケートで、はじめて羽生結弦の演技を見た。
フリーの試合で彼は多く転倒をしたけれど、最後まで気迫を殺すことなく演技を続けて、演技終了後には氷上にへたり込み、大きく肩で息をした。
その姿が、まるで命を賭けているようで妙に頭に残った。
そこからフィギュアスケートに興味を持ち、女子の試合も観ることにした。
彼や彼女のように頑張ってみたい。そんな想いが私の勉強心を刺激した
浅田真央のラフマニノフで、私は泣いた。
テレビの画面が涙でふにゃふにゃに歪んで、彼女が5人に分身して見えるくらいの大泣き。
彼と彼女の演技を通して、自分も同じように何かを必死に頑張ってみたいという気持ちが生まれた。
そうして取り組んだのが、すぐに迫った学年末テストの勉強だった。
初めてのテスト勉強を経て、挑んだテストの結果は4位だった。
周りから大幅に順位を詰めたことで、驚かれたり、褒められたりしたけれど、ちっとも嬉しくなかった。
五輪なら4位はメダルを貰えないから。
それから、つまらない授業を真剣に受けて、空が明るくなるまで勉強をした。
彼女がラフマニノフの鍵盤の上を駆け上がったように、私もクラストップまでの階段を駆け上がって、高2最初の定期テスト5科目全てで1位を取った。
科目中の最高得点、97点は大嫌いな数学で取った。公式を覚えることが苦手な私は、ワークと教科書と配布プリントの問題を全て暗記して、それを掴んだのだ。
1位という結果は、私に大きな自信をもたらして
喜びと達成感で胸をいっぱいにした。
それと同時に、順位を落としてはいけないプレッシャーと闘うことになった。
気分はすっかりアスリートである。
ひとりで頑張って、泣いた高校時代。あの経験があるから今がある
1位の回数を定期テスト毎に重ねては、それぞれの科目担当教師から最高得点が伝えられる瞬間に「どうせあゆでしょ」とクラスメイトが声をあげるようになった。
何にも感じていないような、ヘラヘラとした顔をしていたけど、本当は怖くて仕方がなかった。
テスト返却では律儀に毎回身体が震えた。
教師がテストの最高得点を口にする唇の動きが怖くて、心臓が全部の血管に散り散りになったように身体中で脈を打った。耳のすぐ後ろでは鼓動音がした。心の中で何度も神様に祈った。
頑張るところを人に見せるのが嫌いだ。
泣くところを見せるのはもっと嫌い。
高校生が終わるまで、金メダルを獲り続けた。
高校時代、私は本当によくひとりで頑張って、本当によくひとりで泣いた。
今、話の引き出しが多いことで沢山人から褒めてもらえるのは、間違いなく高校時代の金メダリストが、ありったけの基礎知識と成功体験を身体中に詰め込んでくれたおかげだ。