ちょっと油断してしまえば、世の中輝いている人だらけに見えて、自分はただの影に思えてしまう。
自分で言うものなんだが、私は自分のことを凡人・オブ・凡人だと認識している。
人よりちょっと文章作成は得意かもしれない。受験勉強を頑張って、それなりにいい大学には行ったかもしれない。でも、そんな人は世の中ごまんといる。
各種メディアで見るような、類稀なる能力を持つ人たちや、誰に見せても恥ずかしくない容姿の人たちと比べてしまえば、特定の分野で際立った才能があるわけでもなく、容姿コンプレックスだらけの自分は、何ともちっぽけな存在だ。

親の高い期待に応えようとすればするほど、自己肯定感は下がっていく

そう。私は、基本的に自己肯定感が低い状態で人生の大半を過ごしてきた。
思い返してみても、自分のことを特に自慢したいと思ったことも、思えることもない。その原因は何かと問われれば、親の存在と答えても差し支えないだろう。
何かとリーダー役を引き受けていたのも、テストの点がよかったのも、好きになれない習い事に休まず通い続けたのも、全部親からの期待に応えただけであって、それらは全部「普通」のこと。自慢げに胸を張りかけた幼い私に、親は「まだまだ」と首を横に振った。
気付けば、私が何を成し遂げても、親から見たら「できて当たり前」のことになっていた。私は「できの悪い子」になることが怖かったから、走り続けるしかなかった。どんなに苦しくても、脇目も振らずに。

親からの期待は、私の本心を無視したベクトルでエスカレートし続けた。その傍ら、親にとって「自慢できる娘」になればなるほど、私は自己肯定感が下がるのを感じた。
もはや、自分が何をしたくて、何を喜びにして生きているのか、わからなくなっていた。
そんな中、自分の親が毒親であると認めざるを得ない出来事があった。嫌でも確信した。私は、空っぽな彼らの人生の慰みとしての操り人形としか見られていなかったのだ。
私は親を喜ばせるために生きているんじゃない。親による強力な洗脳から目が覚めた私は、行方も告げずに、ある日親元から逃げた。

親の妨害を振り切り逃げ切った今に、後悔の「こ」の字もない

一言で親元から逃げると言っても、簡単なことではなかった。
私の中で未だ燻っている小さな「自慢できる娘」が、「親を見捨てるなんて悪い子。いつか後悔する」とずっと囁いていた。
私の脱出に勘付き、あの手この手で妨害しようとする親の騒動にも巻き込まれた。
親と繋がりのある友人との関係も泣く泣く切った。
居場所を特定されないために何をすべきかネットで調べまくり、その情報をもとに、面倒な手続きを踏んででも住民票の閲覧制限をかけた。

親から無事に逃げ切った後の私は、後悔しただろうか?
それが、後悔の「こ」の字も見つからなかったのである。
むしろ、あのとき勇気を振り絞って脱出した自分を褒め称えたい気持ちでいっぱいだった。唯一後悔したことがあるとすれば、もっと早くそうするべきだった、ということだ。

自分の手で掴んだ自由な日常と、凡人・オブ・凡人な私が愛おしい

今でも私が凡人・オブ・凡人であることは変わってないし、一生このままかもしれない。今の仕事に特別情熱を持っているわけでもないし、休日はできればずっと布団の中にいたいくらいだ。
でも、何をするも何をしないも全部自分の選択。誰に強制されるでもない、全部自分の意思による日常。自分の手で掴んだ自由な日常が、こんなにも愛おしく思える。
親から抑圧されてきた自分自身とじっくり向き合うようになったことで、私は私という人間を取り戻しつつある。
自己肯定感が際立って上がったわけではない。「平凡な日常と平凡な自分が自慢です」なんて大っぴらに言えるものではないことも承知している。それでも今は、こんな自分が密かに誇りである。

「親にとって自慢できる娘」はもうたくさんだ。私は、「私が自慢できる私」にこれからも磨きをかけていく。