二十歳になった年、ふと思い立って恩師へ手紙を書くことにした。机に便せんを広げ、ペンを握り、しばし逡巡する……。書けるような出来事が思い当たらなかった。
わたしにとって恩師とは、小学校2年の時の担任である。
先生は当時まだ教師なりたての新米で、わたしの母校が初めての職場で、わたしたちが初めて受け持つクラスで。そしてわたしは、とにかく学校嫌いな子どもであった。
一週間に一日行けばいい方、母の車で校門前まで連れて行かれ、ダッシュで逃げ出そうとしたところをすかさず先生たちに捕獲され、泣きながら教室まで連行されていく。
何がそうさせたのか自分でもはっきりと分からないのだが、とにかく学校に関するなにもかもをわたしは疎んでいた。
新米先生の周りには、泣き叫ぶ私に愉快な子どもたち。まるで悪夢だ
かたや25の新米先生に、かたや泣き叫ぶ子ども。今だからこそ思うが、わたしが先生の立場ならまるで悪夢だ。
ただでさえ子どもはわたしだけではない、授業中に突然立ち上がって教室の後ろでゴルフをやり出す子ども、クラスメイトの背に跨って競馬をやる子ども、廊下で人間カーリングをする子ども。傍から見ている分には全くもって愉快な光景でしかなかったけれども。
先生は昼間、ゴルファーやら騎手やら人間ストーンを相手にした後で、夕方子どもたちが下校した後にわたしにマンツーマンで勉強を教えてくれた。給食のデザートをとってあるから食べにおいでとか、そういうご褒美を理由にわたしを学校に呼んで。
夕方四時のひっそりとした教室。昼間賑やかな分、学校中が怖いくらいに静かで、ブラスバンド部の先輩たちが吹くトランペットのふにゃふにゃの音色がせめてもの慰めだった。
「デザートは先生にあげるから帰りたい、もうこんな時間なのにまだ学校にいる、もう帰る」
その日一時間も授業に参加しなかったくせに、しくしく泣きながら漢字ドリルをやりつつ、「残業するサラリーマンってきっとこんな気持ちなんだろうな」とわたしはずいぶん悲観的になってよく考えた。
わたしがそういうたびに先生は笑いながら「僕だって帰りたいんだけど!」と言うものだから、わたしは「これが噂のスパルタ教師というやつか」とさらに泣くのだ。
先生がわざわざ時間を割いてくれたありがたさが、幼心には理解できなかった。
卒業前に約束した、「二十歳になったら先生に手紙書く」を思い出した
最後、卒業の時に会ってから約八年……二十歳の誕生日を目前に控えたわたしは、あることをふと思い出した。小学校卒業する直前のことだ、「二十歳になったら先生、手紙書くね」……みたいなことを言ったような、言わなかったような。
うろ覚えの約束、でもドラマチックだ。ちょうど成人の記念になにか劇的なことがしたいと思っていた、多少ロマンチストの自覚はあった。
何を書けばいいか考えた。何も書くことがないという訳ではなかったが、単純に八年の空白は語ることを思い悩ませた。
わたしの学校嫌いは相変わらずで、そのせいで誇れるような成績も人生経験もなかった。
だからただこう書いた。
「元気です」
「驚かれるかもしれませんが、ちゃんと働いてます。毎日職場に行けてます。お金の大切さを知ったからです」
「警察のお世話になるようなこともしてません、ご安心ください」
「九九はいまだにちょっとあやふやです」
「先生もお元気ですか?きっと今頃変わらず立派に、わたしたちのような子を教え導いておられることでしょう」
「わたしはもう二十歳になります。先生と同じ社会人となった今だからこそ、心からこう言えます。あの時はお世話になりました、ありがとうございました」
あの頃よりずっと丁寧な字で書かれた手紙に、思わず笑みがこぼれる
数日後、一通の手紙が家に届いた。先生からであった。
意外な人からの手紙に驚いたこと、月日の経つ早さにあの頃を懐かしんだこと、元気で暮らしていることに安心したこと。
「手紙に漢字がたくさん使われていてうれしかったです」という一文に思わず笑みがこぼれた。あの頃、黒板や返却されたテストの上で見ていた先生の字よりずっと丁寧に書かれていてうれしくなった。
先生。
わたしはあいかわらず数字は苦手だし字も下手だけど、たぶん先生が教えてくれた色々なことがいま役に立っています。
ものを書くことを覚えて、漢字も少し得意になったんですよ。
ほかの子たちみたいに誇れるようなことはあまりないけれど、こんなわたしもちゃんと大人になれましたよ。