私には親がいない。私が5歳の時に両親共に亡くなった。
記憶は断片的だが、悲しみと寂しさの渦に巻き込まれそうになりながらも、今まで何とか人生を歩んできた。

年齢を重ねるごとに自分の感情に蓋を。そんな時出会った先生がいた

幼少期は、みんなにはいて当たり前の両親が私にはいないことに対して、負い目や劣等感を抱き、授業参観などのイベントの度に「お父さんとお母さんがいてくれたらなあ」と強く感じた。そして無力な私でも親を助けられたのではないかと自分を責め続けた。
周囲とのペースを合わせて生きていくために、知らず知らずのうちに親の死を隠すようになった。そして年齢を重ねるごとに自らの感情に蓋をし、気がつくと高校生になっていた。

高校生になった私は、大人になることへの自信を完全に失っていた。将来の夢や希望をもつことに恐怖感さえ感じ、両親の年齢を超えることができるのかと不安に感じていた。また、幸せになることへの罪悪感を抱き、進路を決定することができずにいた。

そんな時、私の味方になってくれる大人に出会った。それが担任の先生だった。
いつも私の調子を見守り、時に声をかけ、心に寄り添ってくれた。
見捨てられることや大人を信じることに極度の恐怖を感じていた私を広い心で包んでくれた。

信じられる誰かがいてくれることで、安心して夢を追いかけられるように

先生との関わりを通して、「自分らしく生きていきたい」という希望をもつことができ、少しずつ自分の気持ちを吐き出すことができるようになった。「悲しんでもいいんだ」と思え、涙を流すこともできた。
この経験から「何か大切なものを失っても、信じられる誰かがいてくれたら、少しずつでも人生を前に進めることができる」ということを学んだ。また、大人を信じても見捨てられないという経験ができ、安心して夢や希望を追いかけられるようになった。

高校時代にかけがえのない経験をした私は看護師になった。様々な職業がある中であえて、人の死や病と向きあう職業を選択した。
その根底には、「どんな人も見捨てない看護をしたい」という看護観があり、今の私を突き動かしている。

私は精神科での臨床経験が長く、精神疾患を抱えたさまざまな患者さんと関わってきた。患者さんはそれぞれに生きてきた背景があり、疾患のためにさまざまな経験を重ねている。その中には、大事な人に何度も見捨てられた経験もあり、見捨てられることに対して強い不安をもつ患者さんも少なくない。

もう見捨てられたくないという思いから、人間不信に陥る場合もあり、患者さんと心を通わせることは容易ではない。介入が難しいケースも少なくないが、その都度「私はあなたを絶対に見捨てない」というメッセージを言語化し、意識的に伝えようと努力している。

こころが痛む経験をしたからこそ、悲しみと共に生きていく大切さを学んだ

幼い頃に両親を亡くした経験と高校時代の担任の先生との出会いが私の人生を変えた。
悲しみや寂しさが消えたわけではないが、悲しみとともに生きていくことの大切さを学んだ。自分のこころが痛む経験をしたからこそ、他者の痛みを理解しようと思えるようになった。自分が見捨てられそうな経験をしたからこそ、他者を見捨てないことの大切さを学んだ。このような学びが私の財産であり、唯一の自慢である。

両親の間に生まれることができたからこそ、かけがえのない学びを得ることができた。
人の病や死と向き合う覚悟ができたのも両親の死が大きく影響している。両親の死があったから、今の私がいる。やっと悲しみと折り合いがつき、そう思えるようになった。

これからも両親に恥ずかしくないように人生を歩んでいくことが私の目標である。そして対人援助に携わるものとして誰も見捨てない、あたたかな関わりを続けていきたい。