妊娠出産は「不自由になること」だと思っていた。
妊娠がわかった時、私は大学四年生だった。
春からは他県の大学院進学を予定していた。
女性が子どもができてからも学び続けることは、ワガママになるのか
そのため、妊娠がわかった時に嬉しいという気持ちはなく、今後の人生が真っ暗になっていくのを感じていた。
私は大学院に進み、研究の道に進もうと考えており、結婚や出産は私にはまだまだ先のことだと考えていた。
何よりも自分が「妻」や「母」になるイメージが全くわかなかった。
当時の私は「妻」や「母」に対して、夫や子どもに尽くし自分のことは後回しにするという献身的なイメージを持っていた。
「働くこと」は子どもや家族のためになるが、「学ぶこと」はあくまで自分のためであり、大学院進学は子どもができたら諦めなければならない、と考えていた。
だけど、本当にそうなのだろうか??
子どもができたら、女性は自分の人生を諦めなければならないのだろうか?
女性が子どもができてからも学び続けることは、ワガママになるのだろうか?
女性の学びやキャリアは軽視されて良いものなのだろうか?
いろんなことを疑問に感じた。
キッズスペース製作や託児ボランティア募集。工夫して学生生活を続行
私はこれまで自分が大切にしてきたものを、子どもができてからも大切にしたいと思った。
「子どもがいるからできない」と諦めてしまうのではなく、「子どもがいるからこそできること」を模索し始めた。
私は大学院の同級生に協力してもらい、研究室の一室にキッズスペースを作り始めた。最初は母や友人に子どもを見てもらっていたが、次第にそれだけでは母や友人の負担感が大きくなると思い、学内で託児ボランティアを募集し、授業中に子どもを見てもらった。
また、産後すぐの身体を動かせない時や子どもの体調がすぐれない時には、先生にオンラインで授業に参加させてもらえるようにお願いをした(当時はまだ現在のようにオンラインは普及していなかった)。
色んな工夫をすることで、私は子どもができてからも大学院生活を続けることができた。
大学院進学を断念する、休学することが当たり前だとおもっていたけれど、「当たり前」にとらわれる必要はない。敷かれたレールを必ずしも歩く必要はなく、自分で新しいレールを敷いても良いのだ。
「妻」や「母」になっても自分の人生を諦めず、大切にしても良いのだ
私の行いはワガママに見えたと思う。色んな人に迷惑をかけたと思う。
何度も自分のしていることは正しいのか、周りに迷惑をかけているだけではないか、と悩んだけれど、友人が「命が目の前で育っていくのを見れて、すごく勉強になった」「子どもがいる友人の気持ちがわかった」「子どもがいるママさんの世界を知れた」と言ってくれた。
友人からの言葉で私のしてきたことは、単なるワガママだけではなかったのだと思えた。
私が主張し行動したことによって、妊婦さん、ママさんが生きていく上で社会にはいろんな障壁があることに気づき、協力してくれる人もたくさんいた。
誰かが主張しなければ、生きづらさや困難さに誰も気づいてくれないし、せっかく芽生えた小さな違和感は埋もれていってしまう。私たち1人1人が感じた違和感や生きづらさは実は、多くの人にとっても大切なものでもあるのだ。
きっと「母になったから仕方ない」と諦めてしまう人も多いだろう。だけど、「妻」や「母」になっても私たちは自分の人生を諦めなくてもいいし、もっと自分のことを大切にしても良いのだ。他の誰でもない私の人生なのだから。
そんな当たり前だけど、大切なことを気づかせてくれた大学院の2年間。
子どもと一緒に大学院で学ぶことのできた2年間は今でも私の宝物だ。