「春の雨は土のにおいがするのはなぜだろう」。高校3年生の春、日直だった私が学級日誌のコメント欄に書いた一文。これが私と彼が付き合うきっかけだった。
「春の雨は土のにおいがする」とは、中学の時に国語の教科書に載っていた中沢けいの「雨の日と青い鳥」の一節だ。話の内容は忘れてしまったが、その一文だけは春の雨のにおいとともに強烈に印象に残っている。他の季節とは違う少し重たい雨は、言われてみれば確かに土のにおいだった。
私が好きになったのは、日の当たる場所で自分の世界を作る彼だった
「確かに、春の雨は土のにおいがするね」
翌日、後ろの席の彼が私にそう話しかけた。今日、日直の彼は、昨日私が書いた学級日誌を読んだらしい。今まで話したこともなかった彼が、私の世界に飛び込んできた瞬間だった。
それをきっかけに私と彼はいろんな話をするようになった。好きな本のこと、共通の友人のこと、家族のこと、次のテスト範囲、志望する大学、彼のこと、そして私が彼を好きだということ。
他の同級生とは違った空気を纏った彼は、本質的に自由だった。
昼休みに日の当たる渡り廊下で、ゲーテやフロイトを読んでいるような人だった。私は教室で友達と弁当を食べながら、その姿を見ていた。
思い返せば、付き合ってからもその距離は変わることはなかった。いつだって彼は日の当たる場所で自分だけの世界を作っていて、私は遠くから恋とも憧れともつかない眼差しでそれを見つめるばかりだった。
「時が止まってしまえばいい」。身も心も焦がす恋は大火になった
文芸部だった彼は、たまに書いた小説を読ませてくれた。その時は少しだけ、孤独で暖かい彼の世界にお邪魔しているような気分になった。
愛読書がニーチェだった彼の書く文章は、まるで英語の文を読んでいるようで私には解らなかったけれど、そんなことは言い出せずに解ったフリをしていた。
難しくて理解のできない日本語でも、彼が話してくれるならなんだってよかった。放課後の空き教室で2人で話している瞬間に、「時が止まってしまえばいい」と何度も願っていた。
好きだという思いが募りすぎて、素直に声に出して伝えることもできないような拙い恋だった。文字通り身も心も焦がすような思いは、ジリジリと延焼を続けて、いつからか自分だけではなく周りもを焦がす大火へと変わっていった。
それを感じ取っていた彼は、少しずつ私に近づかないようになっていた。そしてまた春が来て、私は地元の大学に、彼は東京の大学へ進学が決まった。
土のにおいがする春の雨の日、彼の一言で私の恋は呆気なく終わりを迎えた。彼と違って、私には彼を引き止める言葉なんて何も持っていなかった。
私にとって、春の雨は土のにおい。いまでも失恋の古傷が少し痛む
人生の終わりだと思った日から8年が経った。今私の隣には、全く別の人がいる。人生というのは不思議なもので、失恋の火傷は時間が経つにつれ、少しずつ古傷に変わっていくのを私は学んだ。
ある春の雨の日、私はもう何十回と頭の中で繰り返した言葉を呟いた。「春の雨は土のにおいがする」。
「大気中の塵や埃が、雨で流れ落ちることによって生じるにおいだね。だからこれは土じゃなくて埃のにおいだよ」。今の彼がそう答えた。
長年の謎が解けた。そうか、これは埃のにおいだったのか。蓋を開けてみれば真実はそんなものなのかもしれない。けど、それでも私にとっては、春の雨は土のにおいなのだ。古傷の火傷が少しだけ痛んだ。