母子家庭に生まれた私は年の近い兄と母と3人で暮らしていた。
私は昔から内気な性格を隠すために明るく振る舞ってみせたり、いつも仕事で疲れている母の悩みを増やしたくなくて、我儘を言えなかった。
そんな幼少期を過ごした私は、八方美人な性格になってしまった。人の目を気にして過ごす私は誰とも喧嘩もせず、深く仲良くなることもなく、ただ浅いところで広く人間関係を築いていった。
そのくせ寂しがりな私は、いつも触れられない人の深い所を知りたくて、友人に紹介された友人の大親友に嫉妬したりもした。私は友達が多いように見えて、どこかずっと孤独を感じていた。

「晴れて自由の身だ」。同じ息苦しい思いをした兄を笑顔で見送る

母は昔から恋人がコロコロ変わり、変わるたんびに実家で同棲を始める。すると母から女に変わり、周りが見えなくなる。私は母の恋人にも嫉妬をした。
兄は大学生になると家を出て、地方へ行ってしまった。兄はいつも私の味方で、私の深い所に触れてくれる。寂しそうな顔をすれば頭を撫でてくれて、手を繋いで歩いてくれた。
優しくて温かい兄が家を出る最後に私に言った言葉は、「知らない男のいる家はなんとも居心地が悪いなぁ……これで晴れて自由の身だ!!」。

あぁ、そうか兄も狭いこの家で息苦しかったのか……納得した。ずっと隣にいた兄がいなくなるのは心底寂しかったが、笑顔で見送るしかなった。
それでも八方美人の私は、家では母の恋人ともうまくやっていた。
2年制の専門学校に入学した私は、実家から片道2時間の通学と毎日の課題、バイトに追われる生活を送っていた。知人もいない学校ではうまく馴染めず、才能のある同期たちに圧倒され毎日毎日心がすり減っていく気分だった。それでも兄から届く応援メッセージに励まされながら続けた。
2年に進学すると、専門学校の卒業生だという地元の男性と出会い、遊びに連れて行ってもらうようになった。そこで出会う人たちは大人でかっこよく見えた。

クラブに遊びに行ったり、朝までお酒を飲んだり、そのたび私は寂しさを忘れて遊びに没頭した。次第に学校生活が疎かになり、遊んでる方が楽しいように思えてきた。なんとか学校を卒業した後も遊び回り、就職もせず家に帰らない生活をしていた。
気づけば周りはみんな大人になっていた。いつか描いた夢も何もかも忘れ去っていた。
こんな私にも、母は1度も怒らなかった。

実家で母や母の恋人と、すんなり仲良くなった兄と同じ名前の彼

ある日、cafe&bar の音楽イベントでひとつ年下の男性と仲良くなった。彼の下の名前が兄と同じだったので私は少し気になったぐらいだった。よく遊びに誘ってくれたが、彼は昼に川に行ったり、カフェで本を読んだり趣味のカメラで街を歩いては写真を撮るのが好きだった。私とは正反対だったが、それが面白かった。

彼は私が周りに流されて彫ったタトゥーをカッコいいと言った。私は週2回海の近くのスタジオでキッズ向けのダンスインストラクターのバイトをしていた。その事も彼はカッコいいと言った。
インストラクターの日は、帰りに海が近いからテトラポットに座って缶ジュースとタバコで一服する。私はその時間だけ無性に昔を思い出して、感傷的になって自分が嫌いになる。暗い海の底にいる気分で、遠くに見える街灯りにどう頑張っても届かないような絶望感を感じる。
ある日、私が酷く酔っ払って、帰れなくなっている所を彼が迎えにきてくれた事があった。

私は1人じゃ寂しいからと家に泊めた。実家だというのに、彼はとまどいも遠慮の様子もなくすんなりと家に入り、母と母の恋人に挨拶をし仲良くなっていた。
その様子が変に心地よく、私の隠してた全てがぶわぁと湧き上がってきた、ずっと深い海の底から背中を押されるように遠い街明かりに手が届くような気分だった。

誰にも言えなかったことをすべて話し続け、いつ寝たかも覚えていない

部屋で眠りに着くまで寝転びながら、お酒のせいなのか私は喋り続けた。彼は私の部屋にある雑誌に目を通しながら、静かに私の話に耳を傾けた。
私が祖母と不仲な事、母の恋人がコロコロ変わる事、兄と名前が同じ事、夢があった事、インストラクター終わりはテトラポットの上で一服する事。ありとあらゆる誰にも言えなかったすべての事を話し続けて気づけば眠りについていた。その後、彼が何か喋ったのか、いつ寝たのか何も知らなかった。

朝、目を覚ますと彼は今からドライブに行こうと、二日酔いで何もする気になれない私を無理矢理連れ出した。1日中車を走らせ、私を知らない街から街へと走らせてくれた。
見たことない景色に心の底からワクワクさせられた。行ったことのないカフェで休憩をして、彼が好きだという本を読ませてもらった。

文字を読むのは苦手だと思いながら、キラキラとした目でプレゼンしてくる彼に押されて読み進めた。初めて私は夢中に本を最後まで読み切った。本を読んだ余韻を楽しみながら、あーだこーだと討論会を始めた。その時のタバコと珈琲は今までにないぐらい美味しかった。
気づけば日は沈み、来た道がまた違った姿を見せていた。それでも彼は車を走らせ続けた。

「一緒に住もう」。いつものテトラポットで、彼は真剣な目で言った

ふと見たことのある景色が次々と視界に入ってくる。車が停車すると、いつものテトラポットの近くだと気がついた。近くのパーキングに停めて、テトラポットまで歩いた。その間、彼は一言も喋らなかった。
テトラポットに座ると、彼が缶ジュースを出してタバコを吸い出した。つられて私もタバコをくわえる。不思議と向こう岸の街明かりに手が届くような感覚になる。

彼は真剣な目で、私に「一緒に住もう」と言った。突然の事で、理解ができなかった。
けどその瞬間、ずっと深い海の底から向こうに見える光に向かって手を強くひかれるように、背中を強く押されるように私の体がゾクゾクとした。
私は考える暇もなく、うんと答えた。彼はホッとしたような表情で私の手を握った。初めて感じる他人の体温に心が安らいだ。

気づけば、目の前に広がる暗い海がもう怖くなくなっていた。それからしばらくして彼と同棲を始めた。母は止めることはなかった。
不思議と私たちの生活リズムと価値観は同じだった。彼の好きな本と一緒にあの頃から本にハマった私がコツコツと買い集めた本に囲まれて、穏やな生活を送っている。
あの夜があったから、今は彼のために作る夜ご飯が毎日の小さな幸せだ。