最近暇つぶしに、就職・転職サイトや情報誌を眺めることがよくある。
コロナ禍で不況の波がさらに高まり、職業選択についてあれこれ言われる世の中ではあるが、選り好みしなければまだまだ人手を求める業界は多いのではないかとさえ思えてくる。

私は数年前に四年制大学を卒業し、就活というものを経験せず、公務員試験を受け、一旦職に就いた。
両親も地方公務員、小さい頃から「公務員は安定よ」と刷り込まれていた私からすると、その選択は最も頭や労力を使わない、目の前のレールに乗っ取った選択だった。

自分の選択は間違っていないと思っても、就活組を羨ましく思うことも

当時は、就活をほとんど考えていなかった。周りは同じ公務員組ばかりとも言えず、中にはパリッとスーツを着こなし就職説明会に足を運び、エントリーシートの作成にいそしむ就活組の友人もたくさんいた。
一方の私は、どちらかと言えば、机に向かい参考書とにらめっこの毎日。完全にないものねだりだが、アクティブに外部に自分を売り込む就活組のほうが、心生き生きと日々を過ごせるのではないかと、羨ましく思ったこともないことはない。

しかし、自分のこの選択は間違っていないと頑なに思い込み、試験勉強に打ち込めるようバリアを張った。結果、私は試験に合格し、ひとまず今後の進路を繋げることができた。

大学を出て働き始めると、今まで他人事だと思っていた社会の厳しさをたくさん感じた。
それは公務員に限定されることでは決してない。業種や職種によって困難を感じる場面は様々だと思うし、異業種間でその大変さを理解しようにもなかなか理解しきれないのが現実だろう。
現に、大学時代、彼らなりに苦労してきたこともあっただろう、就活組を羨ましく思った事実が自分にはある。

仕事を突き詰めて考えると、自分で選択した公務員の道が揺らいでいく

仕事というものは、決して楽ばかりではない。お気楽事が仕事として成り立ってしまうと、どこかで甘えが生じそうな恐ろしさも感じる。
ただ、その当時、自分が仕事に抱いていた一番の不満事がどんどんと膨らみ、負のエネルギーを蓄えていった。今思えば、単純に少し疲れていたのかもしれない。

本来ならば、ただ働くことに集中していれば良いものの、社会の荒波に飲まれながら“仕事”というものを突き詰めて考えていると、あるとき心の中にこんな思いが浮かんだ。
「この職業選択は、自分にとって一番合う選択だったのだろうか」
「このまま同じ道を歩み続けるべきだろうか……他の世界も見て、今後の自分の人生に最も合う働き方を見つけてみたい」

自分にとって一番安全で無難だと思っていた公務員の道が少しずつ揺らいでいく。
社会人4年目の春。公務員家族からは「そんな簡単に今の職を手放すなんて」と非難轟々だったが、意を決して退職。人生で最初の就活を始めることにした。

充実感が得られた転職先も、ライフスタイルの変化により揺らぐ職業観

1度目の就活は期間にして短いものだった。希望する職種がはっきりと決まっていたこと、すでにコネクションを築いていたこともあり、学生の経験する就活より遥かに生ぬるく、でも、「就活してみた」事実を与えてくれた。
そして、幸いなことに公務員時代と同じ週5日8時間労働にも関わらず、(お給料は少し下がったものの)残業はほとんどなく、自分に合ったやりがいや働く充実感が得られた。

しかし、「できればこの職場でずっと働きたい」と感じて長かったが、感情の変化とは自分でコントロールできないもので、最近また、育休からの職場復帰という大きなライフスタイルの変化により、職業観に揺らぎが生じている。

子育てへの配慮から時短勤務にしてもらえたものの、その勤務時間さえ子供の突然の体調不良などで満足に働けない。以前と同じ部署で同じように働き、充実感を得るのは困難になり、むしろ申し訳なさや後ろめたさが大きくなってきた。

自分の人生で“仕事”というものを突き詰めて考える期間part.2に入った

「このまま今と同じ働き方を続けるべきだろうか」
自分の人生において、“仕事”というものを突き詰めて考える期間part.2に入ったと思える、今日この頃である。

そこで、まだ何も行動に移せていないものの、就職・転職サイトや情報誌を意識して見ることが増えたのだった。私にとって“仕事”は、社会との繋がりを得るために必要不可欠なことだ。辛いことももちろんあるが、家庭以外の場所で自らを主張できる大切な一つの居場所でもある。そのため、専業主婦という選択肢は今のところなく、何らかの形で働き続けることを希望している。

私にとって人生2度目の就活は、時期は近いような気はしているが、まだどのように行動に移そうか色々と画策している段階である。少しでも前向きな未来が拓けるよう、焦らず確実に第2弾の準備を進めていきたいところである。