「あなたは良くも悪くも普通なんだよね。だからそこまで惹かれないかな」
ある企業の最終面接でそう言い放たれ、結果は不採用。これで最終面接8連敗目。10月現在、内定はありません。
自分のこれまでの生き方を否定されるような感覚を覚え、息苦しい日々を過ごしています。

面接が得意な私。当たり障りの無いことを言って、普通でいるのがコツ

私は、面接が得意です。アルバイトの面接も落ちたことはなく、今は採用されるのが難しいとされていた有名カフェでアルバイトしています。
就職の面接もそうでした。書類が通過して面接を受けると、必ず最終面接まで進みます。6月は面接がトントン拍子で通過して、気持ちが良かったです。コツは愛想良く、当たり障りのないことを言って、"普通"な人でいること。
これは、面接に限らず、私なりの世渡り方法でもありました。

私は昔から人間関係の構築が得意ではありません。海外生まれの気質からか、我が強く、反感を買ってしまうこともありました。
幼少期にそのことを自覚し、友達と仲良くやるためのノウハウとして、自分の個性を押し殺し、ニコニコと周りに合わせるということを覚えました。

考えてみれば、空気を読むこと、輪を乱さないことを学校の中で教わったなと思います。
極端な例ですが、運動会の入場行進、足の動きまでしっかり揃えないと怒られてしまいますよね、それくらい日本は周りと同調することを圧力をかけて教育しているんですよね。

同調圧力の集大成である就活も、これまでのノウハウに従えば問題なし

だからこそ、私は周りと同調する生き方を選んだのです。そして就職活動こそ、その同調圧力の集大成だと感じていました。
無個性のスーツに身を包み、説明会や面接のマナーもきっちり決まっていて。無言のルールが多数存在していました。ですが、無言のルールを見つけ、それに従えば周りと同じでいられるのでさほど難しくはありません。私自身、これまでの生き方のノウハウに従って、就活でも問題なく同調していきました。

しかし、このやり方が通用するのは1次ないし2次面接までなのです。
1次面接は就活生が"まとも"かどうか、2次面接は"会社の雰囲気に合うか"を見られているとよく言われています。前述通り愛想良く、当たり障りのないことを言えば、空気が読めるまともな人、うちでもやっていける!と企業は判断し、通過出来ます。

ですが、最終面接だとそうはいきません。最終面接の見極めの判断は今でも私にとって答えが分かりません。
ですが、ある面接官に言われた言葉があり、モヤモヤしたことだけは確かです。
「あなたは普通だから、惹かれない」と。

普通であることを求められ、それに従って生きてきた私の22年間。
2次面接までは普通を求められるのに、最終面接では普通を否定される就職活動。
世の中の普通になるために、就職活動をしているのに、普通であるという理由で、就職できず世の中の普通になることが出来ない私。

普通に生きたくて就活をしていただけなのに、王道ルートから逸れた私

普通じゃない、個性があった人が、会社にちゃんと就職でき、普通の人生を送る権利が与えられる就職活動。
個性がある人は、これまでその個性を、同調圧力の中で隠し持っていたのでしょうか?それとも、個性があるフリをしていたのでしょうか?
この個性を曝け出すことは、これまでの人生では良くないこととされていたはずです。
私は完全に、これまでの同調圧力により個性というものを失ってしまったんです。

私は、就活というのは日本の同調圧力教育の集大成であって、同調圧力に屈してしまった私みたいな人が弾き出され、同調圧力に上手く乗って生き、個性を隠し持ち、守り続けた人たちが評価されるシステムなんだと感じます。
皮肉にも、私は就活王道ルートから逸れてしまったため、普通ではなくなりひとつの個性を手に入れてしまいました。
ただ私はこれからも、普通に生きたくて、会社に入るために就活をしていただけなのに。