最近までずっと、自己肯定感の低さと戦ってきた。
私1人、急にこの世界から消えたところで、なんの影響もないんだろうな。私が死んでも、誰も悲しまないだろうな。私の生きてる意味なんてないのかもしれない。こんな私が生きていて申し訳ない。両親はどうして私を産んで、育てたのか。生まれてきてしまって、ごめんなさい。

姉の妊娠と同時期に出合った「違国日記」は、読むたび違う視点をくれる

25歳のとき、姉が妊娠したと聞かされた同じ時期に、ある漫画に出合った。ヤマシタトモコさんの「違国日記」という物語だ。
お話は、姉とその夫が不慮の事故で亡くなり、呼び出された高代槙生が電車に乗って、ラジオのニュースでその事故についての放送を聞いているシーンから始まる。それから姉の一人娘だった姪を引き取り、2人で生きるようになる、という物語だ。

1番最初にこの物語を読んだとき私は、「姉や兄が不慮の事故で亡くなっても、姪か甥の1人くらいなら養っていけるくらいの甲斐性をもてるようになろう」と思った。
2度目に読んだときは、主人公の槙生を自分に重ねて、彼女のようになりたいと思った。
不器用だけれど、自分の芯が強くて、でも弱くて。色んな人に支えられたり、自分1人で戦ったり。私もそんなふうに生きていきたいと思った。
そして3度目に読んだとき、私は生きていてよかった、と思った。
大切な兄弟を事故で亡くした槙生と重ねて考えたとき、私はどんな気持ちになるか、そして自分と重ねたとき、周りの人たちはどんな気持ちになるのか、と想像したのだ。

心の病気になった時感じたことは、意外にも「私は生きたがっている」

私はまだ曽祖母しか、身近で亡くなった人を見たことがない。曽祖母は90歳を超えて大往生だったし、認知症になっても、陽気で面白かった彼女のお葬式は、賑やかで明るいものだった。
しかしもし、兄弟の誰かが亡くなってしまったら?両親が亡くなったら?幼い姪っ子が亡くなってしまったら?
そこにはきっと、想像するのも恐ろしいほどの悲しみが待っているだろう。

ならば私が死んだら、みんなはどんな気持ちになるんだろう。
思い浮かんだのは、家族や友人が私のために悲しんでくれている様子だった。
そして、過去の私が死ぬことを選ばなくてよかった……と心から思った。

27歳になる直前に心の病気になって、何もできなくなった。
その時に感じたことは、意外にも「私は生きたがっている」ということだった。
それから治療のために私がずっと心掛けているのは、自己否定しないこと、である。
つまり自己肯定感が低いと思って苦しくなるとき、私は大抵自己否定していたり、何かと比べて劣等感を感じていることが多い。そして「自己肯定感について考えない」ということが、自己肯定感が高いということなのではないか、と気付きがあった。

1歳の姪も私も、不幸なことに出会わず、幸せな人生を歩めますように

姪っ子は、もう1歳になった。もうすっかり歩くのも上手になって、危なっかしくはあるけれど、色んなものに興味を持って、自分の足で歩いて色んな物に出会っている。
少々大変ではあるけれど、愛おしい姪を見て思うことは、何があっても生き延びてほしい、できれば何ひとつ不幸なことに出会わないで、幸せな人生を歩んでほしい。ただそれだけ。
そしてそれは、私が私自身に思っても良いことだし、この世界に生きる全ての人にも思ってほしい。

苦しいことや悲しいこと、どうしようもないこと、悔しいことに辛いこと。たくさん悩んで、自分自身とたくさん戦ってきた。

もし私の人生が皮の表紙のついた一冊の手帳だったなら、それはきっと空白のページはたくさんあるけれど、表紙には手垢がついて良い具合に味の出ている、素敵な手帳であるような気がする。
そして私はその手帳を、これからもっと素敵な物にできる自信がある。
だって私はもう、自己否定することはないのだから。
未熟な自分を呪うのではなく、どうしたらもっと素敵な私になれるのか、と考えられるようになったのだから。