「またここに戻るのか……」
2週間ほど前、とある就活イベントに参加した際、私が感じたことだ。
大学では習わない就活マナー、知っていて当たり前のディスカッションのルール、印象の良い話し方……就活には、「暗黙のルール」が多すぎる。
知らないことが欠点になり、それが減点の原因になる。「就活は情報戦」と言われるけれど、地方公立大から関東への就職を目指す私には、圧倒的不利な状況である。
「また、私はこの“持っている人たち”と戦わなければならないのか……」
絶望感にも似た感情が私の中を駆け巡った。

就活では勉強した人より、適度に勉強も遊びも楽しんだヤツが勝利

「大学で一生懸命勉強しました」
「GPAが3.0を切ったことがありません」
高校までは評価されていたこれらのことが、就活になると全くアドバンテージにならない。むしろ、「アルバイトで○○人集客しました」とか、「アルバイト先でこんなことを提案しました」ということの方が評価される。
仕方ない。これから私が生きていくのは、学問の世界ではなく、経済の社会なのだから。大学生活でたくさん勉強したことより、適度に勉強も遊びも楽しんだヤツが、結局就活でも勝利を収める。
「なんのために勉強して大学に入ったのだろう……」
そんな思いが、幾度となく頭をよぎった今年の春。

私が就活を始めたのは、大学3年の夏。教員になる自信をなくし、「教員になるにしても、社会のことを知っていた方が教えるときに役に立つかも」と思って始めた就活だった。
インターンシップに参加する、エントリーシートを書く、面接を受ける……どれも今までの学校生活で学んできたことが、生きているようで生きていない気がした。
2月になると、早期内定をもらって、終活する人もちらほら……コロナ禍で周りの様子がわからないようで、SNSを開けば、友人の状況が浮き彫りになるのも考えものだった。

就活をしながら気づいた自分の思い。私、やっぱり留学行きたい

早めに就活を始めたはずなのに、結果が出ない。何なら、エントリーシートを出しても全く通らない。面接でも自分が言いたいことの6割もいえずに終わってしまう……そんなことが続いた3月中旬。自分の中のある思いに気づいてしまう。
「私、やっぱり留学行きたい」

先行き不透明な留学に保険を掛けるように始めた就活。だけど、やっぱり留学に行きたい。この思いが勝ってしまう。本音を隠しながら就活したって、就活に100%の力で向き合っている他の就活生に勝てるわけがない。

こんなことをやっていた4月のある日。ついに限界が来た。大学の授業を週四で受けながら、就活も、5月に控えていた教育実習の準備も……とやっていたら、全てがうまく回らなくなったのだ。
精神的に追い詰められた私は、母に電話した。決して、優しい言葉は返ってこなかったけれど、就活をやめる決心がついた。

友人の内定報告に、終わらない就活なんてないことを学んだ

終わりの見えない就活。誰かと並べて比べられ、「うちの会社には合わないから」と、論理的なのかそうじゃないのかわからない理由で落とされる。顔の見えないたくさんの人に評価され続けて、疲弊していたあの頃。
「私、絶対就職できない」そう思っていた。そんな私を変えたのは、就活中も週1回電話をする友人だった。
「内定もらったの」
その友人は、喜びと諦め半分半分といった声で私に報告してくれた。そのときの私は、弾まない声で、
「よかったね」
と言っていたと思う。就活って終わりがあるんだ。評価され続けることに一緒に疲弊して、選ばれなかった自分たちを慰め合った友人が内定を取った。そんな事実から、私は終わらない就活なんてないことを学んだ。

世界を変え、多様性の認められる場所で生きるために、戦略を立てる

就活って不平等の連続だ。そう思っていた。今も時々そう思う。
だけど、就活で有利になるための努力をすることは、テスト勉強を2週間前から計画的に行うことと同じだ。戦略を立てて努力をする。私は、その方法を知らないまま、地方から猛者がうじゃうじゃいる関東で就活をしようとしていた。
自分の周りの世界を変えたい。もっと多様性の認められる場所で生きたい。その思いを叶えるために、私がするべきは、戦略を立てること。それも絶対に勝つための。

そんな私は、今、アメリカにいる。ここでの毎日が就活に活きるかはわからないけれど、帰国したら、もう一度就活と真剣に向き合ってみよう。
留学というわがままを許してくれた母のためにも。
もっと生きやすい場所で生きる人生を手に入れるためにも。