私は就職活動をしたことがない。
小学生の頃から教員を目指していたため、教員採用試験の勉強はしていたものの、就職活動はしていない。
そして、現在学校で教員をしながら塾講師をしているが、一般的に言われている就職活動はせずに今まで生きてきた。
私が初めて小さな就職活動的なことをしたというなら、大学生の頃に始めたバイトの試験と面接だ。
高校生まではバイト禁止で、社会に出て働くという経験をしたことがなかった。
姉がバイトをしていた試験監督と採点の仕事は、試験も面接もなく、すんなりできた。
しかし、これでは自分のスキルアップにはならないと感じ、興味のあった家の近くの塾のバイトに応募した。
その時に初めて試験を受け、面接を行った。
試験は学校のテストみたいなもので、面接は面談のようなもので、堅苦しくなかった。
緊張はしたものの、自分のやりたいことだったし、意地悪なことを言われることもなく、すんなり合格した。
私の小さな就職活動はこれだけだ。
内定ゲットはゴール?なぜ何社も採用試験を受けるのか?
今、塾の講師をしていると、バイトの大学生から「就職活動があるから大変」「また面接落ちた」「もう何社受けたかわからない」「もう面接官ほんと意地悪」「ここでつまずいたら人生終わるわ」「就活終わったらマジで遊ぶし!」等いろんな話を聞く。
落ちても落ちても何度でも何社でも試験や面接を受けに行っていた。
その時不思議に思った。
なぜそれほど多くの場所へ受けに行くのか。
なぜ就職活動にかけているのか。
なぜ就職活動に失敗したらもう終わりだ、なんてことを言うのだろうか。
まるで内定がゴールかのように。
日本の大学受験も同じように感じる。
大学に受かることがゴール。入学さえしてしまえれば、単位をギリギリで取得し、卒業すればいい。就職活動も大手会社から内定をもらえれば成功。これから安泰。
自分を取り繕って、いい風に見せて、その場を乗り切る。そして有名大学に行き、みんながすごいという大手会社に勤められたら、それで成功といった風潮。
とにかく入ればこっちのものだと思ってる人たちの多いこと。
私は就職活動に時間を割かなかった。
だからわからないのかもしれない。
就職活動にかける思いも、就職活動がどれほど大事なのかも。
でも、私は有名大学合格や大手会社の内定獲得成功がゴールだなんて微塵も思っていない。
もちろん、その大学に入りたい明白な理由があり、そこで学びたいことがはっきりしている場合は目指すことに意味があり、入学するのに十分な動機があると言える。
でも、受験が長引いてほしくないから、早く決まりそうな大学を受験する。滑り止めを山ほど受け、どこかには受かるようにする。これは違うと感じている。
私は中学受験も大学受験も一校しか受けなかった。そこしか考えなかったからだ。
肩書きによる承認欲求を受けるより、自分のビジョンを大切に生きる
就職活動もなぜ何社も受ける必要があるのか。
これをどうしてもやりたい。どうしても入りたい。それならとことんそこを追い求めればいい。それなのに、第五希望や第六希望のための就職活動なんて、それってやりたいことなの?と思ってしまう。
大手会社に就職して、周りから「偉いね!すごいね!」の言葉をかけられて満足したい、そう思っているのだろうか。自分の人生なのに。
私は誰かに何かを言われても自分の道を歩みたい。
自分のことは他人が肯定するのではなく、自分で肯定するもの。
他人がなんて言おうと自分がやりたいこと、自分が追い求めたいことに向かって進んでいきたい。自分の人生だから。
就職活動をしなかったとしても、就職活動に失敗しても、これから先、何にでもなれる。就活に振り回される必要ない!
失敗して悔しい思いもすると思う。迷って悩んで苦しい思いもすると思う。でも、その先にもっとステキなことが待ってるかもしれない。
そう思いながら、就活をしなかった私は、今日も前に向かって歩んでいく。