山の際から西陽が強く刺している。藍色とマゼンタを適当に塗りたくったような夕焼けの空に、薄く棚引く煙が吸い込まれていく。
褪せた灰色の上着を纏う老人と、その老人の歩幅に合わせるように四足の足をゆっくりと動かす雑種の犬。稲刈り後の畑を落穂目当てで歩いている烏。
野焼きの匂いを嗅ぐと思い出す光景だ。
昔はよく野焼きを見に河川敷まで散歩したのだけど、最近はとんと見かけなくなった。どうやら一部例外を除いては犯罪らしい。
毎日が苦しくて、家や学校にいたくない私は河川敷にいた
火を見るのが好きだとか、野焼きの匂いが好きだったとか、別にそういうわけではないのに、忘れられない匂いというテーマを見た時に思い出したのが野焼きだった。
そのころの私は毎日が長く苦しくて、家にも学校にもいたくなくて、河川敷にいればそれらを忘れられる気がしていて、野焼きは家から出るちょうどいい言い訳だった。
同級生にはいじめられていたし、両親の仲は悪かった。辛かったけれど、きっと人生はこんなもんなのだろうと思っていたので、耐えられないような毎日ではなかった。
いまになって思えば、昔の私は随分と生きづらい子供だったのだろうと思う。
小学校の高学年にもなると、ませた同級生はおしゃれを始めて恋の話やアイドルの話で盛り上がっていた。
私はおそらくトランスジェンダーよりの人間で、トランスジェンダーという名称はよくわからないしあまり好きではないのだけど、とにかくおしゃれにも他人にも興味がなかった。
苦痛だった恋愛の話。きっといつかそういう話が好きになると信じていた
女性らしい服装が苦手でスカートを履きたくなくて、いつもパーカーとジーンズで過ごしていた。
髪を短くしていると、男の子っぽいね、かっこいいね、と言われて、自分は女の子になれないのなら男の子っぽくいなきゃいけないのだと思い、女の子らしさを排除するようになった。
男の子になりたいわけじゃないけど、女の子になりたいわけでもない。恋愛をしないわけじゃないけど付き合いたいとは思わなかった。
だれが可愛いとかだれがかっこいいとかも分からなくて、人に恋愛の話をするのもされるのもとても苦痛だった。
というか、全部どうでもよかった。性に纏わる話や恋愛の話は私にとって好きな食べ物の話くらいに興味がないことだった。
そんな態度が気に入らなかったのか、一部の女の子からいじめられるようになった。
小学生だったので、きっと私が間違っているのだろうと思った。
恋愛の話に興味がないのも、かっこいい男の子に興味がないのも、友達が言うように私がただ気取っているだけで、きっといつかそういう話が好きになるのだろうと言われるがままに信じ込んでいた。
野焼きの匂いを嗅ぐと、言われたことに傷ついていた私を思い出す
膨らむ胸に違和感を覚えた。女性器がついていることが不思議だった。
化粧をするのは好きだけど、洋服は男物のほうが好きだった。女の子のためだけのものじゃないと知ってからスカートが好きになった。
男の子に魅力を感じるのと同じように女の子に魅力を感じた。友人にレズビアンなのか聞かれるようになった。私はいいと思うよ、と色んな人から言われた。
両親と祖母には、好きに生きていいから結婚だけはしてくれと言われた。
野焼きの匂いを嗅ぐと、それら全てに傷ついていた私を思い出す。
傷ついていることも自覚できずに、自分の不出来さに絶望していた幼い私。
野焼きの匂いを嗅ぐ髪の短い少年のような私へ。
あなたはだれの期待にも応えなくていい。女性でも男性でもなくていい。
あなたが傷ついてきたそれらは全てどうでもいいことだ。肯定されるべきものでも、否定されるべきものでもない。
あなたがどう感じようと、あなたの感受性はあなただけのものだ。
好きに生きろと、私だけは私に言ってやるのだ。