いつもみたいに電車に乗って面接に向かう。
東京の電車は嫌いだ。人が多い路線も駅も多い。地元なら一駅分のところに、4駅も5駅も詰まってる。そんな駅要らないよ。
そんなことを思いながら、某オフィス街の大きなビルに、ほかの就活生と一緒に吸い込まれていく。上空からみたら掃除機に吸い込まれるチリといったところだろうか。

グループディスカッションが始まる。定型な会話が終わったあと、座談会で、企業の人は「泥臭く頑張った経験を教えて」「特出したことをしていなくても過程が特出していればいい、自信をもって」「学生らしい尖った意見を」という。
うるさいな。
そんなの私はやりたくても出来なかった。頑張りたくても、その機会に手を伸ばすことを、挑むことを、誰も応援してくれなかった。
自分がしたいと思う、自分の知見を広げることを何も出来ていなきゃ、特出した意見なんて出るわけがないのにさ。

都会と田舎がフラットじゃなくていい。ほんの少し認めて欲しいだけ

企業の人は「コロナ禍でオンライン化したことによって、地方と都会がフラットになった」と言っていた。
うるさいうるさい。
私の地元、地方の田舎は、閉鎖的な社会な場合が多い、例に漏れず私の周りもそう。
「まだ就活してる人いねぇべよ」
「どうせ結婚して子供産んで辞めんだから」
そんな一昔前の考えが蔓延っている。
東京に出たいと言うと、「コロナ流行ってるのにわざわざ行くことない、都会だけが全てじゃない」という返事。
私がやりたいことはそんなことじゃない。誰も私のやりたいことを尊重してくれない。バカばっか。こんなとこ早く出たい、そう思うに決まってっぺよ。
無理してインターンとかOB訪問しに数日東京へ行くと、「しばらく部屋出てくるな」。酷いと電車に乗っただけで、腫れ物みたいに扱われる。

本当にこれ、都会と田舎とはフラットかな。
別にフラットじゃなくていい、ほんの少しだけ認めて欲しいだけなのに。
ちょっと自分を見つめ直したいから、さらに地方に飛び出そうとしたりしようとした。
「周りを見ろ、そんなことしてるやついない」
「地方ばかりが能じゃない」
親が言った。都会がダメなら地方なら良いわけじゃなかった。結局親も地元の人も、みんな私をこの辺鄙な田舎に閉じ込めておきたいんだ。

じゃあ私はどうすればいいの?そんな問いに返事はこない

「こんなご時世だけど、学生には自分の知見を広げる経験をして欲しい」。企業の人が言った。
うるさい!
じゃあ私はどうすればいいの?どうしたら私の行動を、コロナ禍じゃなかったらできていたかもしれないことを、精一杯の対策をとった上で、やりたいことをしようとしてる、私の行動を認めてくれる人が現れますか?
人生1度の学生生活、何もせずに終わろうとしてる私を、誰も疑問に思わない世界、どうしたら変えられますか?

……
そんな問いたちに返事はこない。
どうせ、卒業して社会人になってもきっと答えは見つからない。

……もうわかったよ。
「わかりました、見直してみます」
微笑む。今日もそんなやるせなさを押し込めて、他人の言葉を、自分を思って言ってくれたであろうアドバイスを、素直に聞き入れる。「物分りの良い就活生」を演じるのだ。