紙の上では、東京・港区OL。
現実は、三重県南部に住むド田舎リモートワーカー。

高校生の頃の私はファミレスすらない田舎に飽き飽きしていて、早く大都会・東京に行って人生をキラキラしたものしたいって思ってた。
もし今、高校生までの私に「大学卒業後は地元にいるよ」って伝えたら、どんな顔をするだろう。

「ふるさと」に帰ってきてもう少しで半年。
今だからこそ、私の生まれ育ったこの場所から自分のふるさとについて考えてみたいと思う。

東京に行かなければと働ける場所を探した。でも、地元に戻ってきた

私が生まれ育った街は、ほとんどの子供たちが地元で高校まで過ごすが、進学・就職にあたって街を出ていって戻ってこないこともあって人口減少に歯止めが利かないような街だ。

私も例外ではなく、地元の高校卒業後は、大学進学を機に街を出た。
東京の大学を受けたものの、縁があった同志社大学に入学。

大学4年間は学生団体の活動に明け暮れる日々を送って卒業し、今年の春から東京の外資系IT企業で働いている。
といってもフルリモートだから地元に戻ってきた。

私は就職活動でも東京で働ける場所を探した。
関西でいくらもがこうが、東京のほうがチャンスを得るのにコスパが良いと思わされることがたくさんあったから。

高校まで良い教育を受けるために学校を選ぶってことすら知らなかったし、大学で中高一貫校とか進学校出身の友人の話を聞いて、同じ月日を同じ国で過ごしてきたとは思えなかった。

業界によると思うが、就職活動で大手企業の複数日程のインターンに参加しようとしたら、ほとんど東京に行かなければならなかった。
地方か否かなんて選べるわけじゃないのになんて不都合なんだ。
東京に行かなければという思いを強くした。

コロナ禍でのオフィス閉鎖。いつオフィスが開くかはわからない

私は大学卒業前に東京に引っ越すか地元に帰るか大きな選択を迫られた時に、地元に帰るという選択をした。

大学までは地方の機会格差に悶々としていたわけだが、コロナ禍における就活をしていく中で、どこにいても面接はできるわけだし、場所のせいで不利だという思いに変化があった。

私が東京に執着していた理由はチャンスを掴むためであったが、オフィス閉鎖でフルリモートという環境を考えたときに、「東京じゃなくてもできる」を経験できる貴重な機会なのではないかと思うようになった。

いつオフィスが開くかはわからない。
だからこそ、オフィスに行ける日がくるまでは、大好きだけどもう帰ることないと思っていた地元に戻る。

そして、年々年老いていく祖父母や両親とふるさとでの家族との思い出を増やそうと思った。

物質的な豊かさに目が眩んでいた私がふるさとで見つけた幸せの在り方

ふるさとに帰ってきてほぼ半年。
消費社会において気軽に買い物をして、ほしいものを手に入れられないのはマイナスだが、それ以上に現代人が忘れている自然へのときめきが日常にある環境に満足している。

私は毎日パソコンやスマホの画面とにらめっこの日々を、大学生だった去年から続けている。家にいることが好きだったこともあって自分でも驚いたが、このような日々を一人暮らしで送っていると社会性が奪われて心が非常に荒む。

そんな時、家族のどうでも良い話を聞いてケタケタ笑って、おいしいごはんを食べることがどんだけ私を救ってくれているのか。

そして、田舎ならではだが、畑でとれた野菜や釣ってきた魚をもらって旬を感じたり、何も考えずに海岸にいって漁船や養殖場、水平線をただぼーっと堤防にすわってみていると、自然の中で人間として生きている充足感を与えてくれる。

私のふるさとは、過去の私が思っていたように山と海しかないつまらない場所だと、東京のような何もかもが集まる場所が魅力的に思える価値観を持つなら思うだろう。

私にとって、家族という繋がりがあり、自然がすぐそばにある環境は、物質的な豊かさに目が眩んで見えなくなっていた幸せの在り方を見つけさせてくれた。