どこにも居場所がない私は受け入れてもらえない理由を探していた

中学生の頃、私は自信がなかった。
もしかしたら自分は特別なんじゃないかと、ワクワクしていた小学生時代を超え、中学生にもなるとうすうす、自分にはなんの才能もない凡人であることに気づく。

さらにそこに周りからのいじめ。
学校に行くと私は空気だった。
誰からも避けられた。
家庭でも居場所なんてなかった。
私の心はボロボロだった。
なんで自分が受け入れて貰えないのか。
ずっと正解を探してた。
よく言われた言葉。

「普通はさ~」
「こんなの当たり前でしょw」
「常識だよ」

嘲笑うように、呆れるように吐かれるその言葉は私にとっては凶器だった。
鈍器で殴られるほど心がえぐられた。
胸がざわめく。
普通って何?当たり前って何?
それが出来ないから私はいじめられるの?
みんなと違うから居場所がないの?
……私が悪いの?

「普通」という概念を知るため、幼い頭でひねり出した勉強の毎日

「普通」「当たり前」「常識」その言葉の中身を知ろうと思った。
そして普通になれば、私はこんなに辛い思いをしなくて済むんじゃないかと思った。
答えを探すように勉強に没頭した。

今思えば、どうして普通という概念を知るために目の前の勉強に明け暮れたのかよく分からない。
たぶん、私にはまだ分からないことばかりだから、知識をつければ常識を得られる。そうすれば普通がなんなのかもわかるんじゃないかと、幼い頭でひねり出したんだろう。
まあただ単に、なにか没頭することがなければ自分を保てなかったのかもしれないが。

公立の小学校から私立の中学に入学したこともあり、私は学校で下から数えた方がいいほど成績が悪かった。
そこから毎日勉強。塾にも行かなかったから、とにかく独学で試行錯誤。

中学を卒業するころには、学年でトップ争いをするようになっていた。
高校は県内の公立校に行った。県内でも指折りの進学校だった。その後無事大学に進学した。
でも、私が自慢したいのはそこじゃない。

必死に普通になるために探した答えは、予想外な結末になったけど…

中学生の頃より沢山のことを学んだ今、ひとつ言えることがある。
それは、「普通なんてどこにもない」ということだ。
学生の頃はコミュニティの小ささに気づけず、周りの言うことが正しく、自分が間違っているのだと卑下していたけれど。
あの時私はもっと自分に自信を持ってよかった。
もっと周りではなく自分を信じてあげてよかった。

普通という言葉は、自分の意見を押し通したくても意見を論理的に組み立てられない人が、簡単に相手をねじ伏せるために使うことが出来る麻薬だ。
そんな言葉に酔っ払ってしまっては、もう自分の頭で考えることが出来なくなる。
周りの人の意見に流されて、自分の判断を信じられなくなる。
そんな「普通」、こっちから願い下げてしまえ。
それは必死に居場所を探してもがいた結果、分かったことだけれど。

中学生の頃、必死に「普通」になるための答えを探していた。
その答えは予想外な結末にたどり着いたけれど。
苦しんで苦しんで、そんな答えを出せた自分。それが誇らしい。
そしてそんな自分を好きになれた。

もう20年以上生きているけれど、まだ13歳だったあの頃の私。苦しくて苦しくて、それでも「普通」と戦った私。
私の1番の自慢です。