2年目なのに。ボランティア活動で何もできなかった私

私は私が嫌いだった。とにかく要領が悪い。だから、何をやっても上手くいかずに空回り。
どうしてみんなみたいにうまく楽しく生きていけないんだろう?年中ささいなことで脳内反省会を開催しては自分を責める毎日だった。

そんなスーパーネガティブな私の思考が180度変わるできごとが起こったのは、大学2年生の夏。
この日も私は落ち込んでいた。理由は、大学生になったタイミングで始めた野外活動のボランティア。2年目の私は同じプログラムを昨年したにも関わらず、ささいなハプニングに大層慌て、何もできずに立ち尽くしてしまったのだ。
なんとかその場をやり過ごしたものの、後の心境はここまで読んでくださったあなたのご想像の通り(笑)、気付くと私は夜の繁華街で号泣する大学生という、人生で1度出会えるかどうかのレアキャラとなってしまっていた。

「自分を褒めてあげられないの?」先輩の言葉で、自分を理解できた

「家まで送ろうか?」
見かねてレアキャラに声をかけてくれたのは、同じボランティア団体に所属していた大先輩。
尊敬しすぎてもはやちょっと崇めているこの先輩が?私を車で家まで送ってくれる?
「お願いします」と鼻声で即答し車に乗り込んだ。そして私の整理されてない話をうんうんと聞き続けてくれた。
その返答として先輩が最初に発した言葉が「ちょっとは『がんばってるじゃん、私』って自分を褒めてあげられないの?」だったのである。

理解できなかった。失敗ばかりでできたことなどなく、周りの人に迷惑をたくさんかけた私に、褒める事などあるのだろうか。
返事に詰まる私を相手に先輩の言葉は続く。
「今日のためにスケジュールを確認したり、参加する人に話す内容、一生懸命考えてきたでしょう?それに、去年同じプログラムをしたときにできなかったこと、今年も全部できなかった?きっとそんなことないと思うよ」
「目標としていたレベルに届かなくったって、努力した事実は変わらない。あなたの思っている『できていない』は『やろうと思っていたことができていない』であって、決して『何もできていない』ではない。だから、責めるだけじゃなくて自分のことを褒めてあげる事ができる様になったら、あなたは変わることができる」

この夜から2年経った今なら分かる。
私は自分に自信がないあまり、きちんと自分の事を評価できていなかったのだ。「自分は何をやってもうまくいかない」そんな自分の思い込みが自分自身の成長を邪魔していた。
それが、結果に関わらず自分の頑張りを認め、褒める事ができる様になったらどうだろう?頑張った根拠として、目標には届いていないけれど、小さなできたことを落とさず見つけられるようになった。

すると、次にすべきことがはっきり見えてくる。いつの間にか、過去の自分の言動を責める脳内反省会は次の行動を考える振り返りとなり、長い目で見て「うまくいかない」ことは減っていった。

自分を認め、何があっても前を向くことができるように

先輩、お元気ですか?
自分が話したこと、勝手に文章にされたら怒りますか?許してください(笑)。

私は変わりました。要領が悪い所は相変わらずですが、もう自分を嫌いになるほど自分を責めたりはしません。「がんばってるじゃん、私」とできた自分をしっかり認め、何があっても前を向くことができます。

どうして文章にしたのかって?この言葉を努力が報われないと感じている誰か、自分で自分に愛想尽かしている誰かに届けたかったのです。自分を認めること、たったそれだけのことがやりたいことや、なりたい自分に近づく太い道筋となることを伝えたかったのです。

この文章を読んでくださっているあなたへ。今日もお疲れ様です。
あなたがどんな想いを抱え、日々を過ごしているかは私には想像もつきません。ですが、とりあえず唱えてみて欲しいです。
「がんばってるじゃん、私」