私は今から大好きなお姉ちゃんの自慢話をします。
4つ離れた私のお姉ちゃんは、小さい頃から温厚で、兄弟喧嘩をしたこともなければ、怒られたこともありません。食べ物を半分こしては、聞くまでもなく「はい、どうぞ」と大きい方をいつも私にくれました。

あらゆる称賛の言葉にふさわしい存在。私は姉が大好き

中学生になったお姉ちゃんは、持ち前の運動神経を生かし、いつも運動会で記録を出しては表彰台に登っていました。頭も良く、学校では常にトップを張り、学区内で1番賢い高校に進学しました。バスケット部では持ち前の運動神経を生かしエースとして活躍し、試合を見に行く度にシュートを決める姿に惚れ惚れしました。
そして公立大学に入学したお姉ちゃんは、忙しい合間を縫って私に勉強を教え、時折大学の研究室に連れて行ってくれました。理系のお姉ちゃんは白衣を着て作業をしていましたが、その姿は妹ながらに凛々しく、そして美しく、惚れ惚れしました。

大学院に進学後、一度休学しボランティアへ。恵まれない国の子どもの為に地球の裏側で2年間教師として働きました。
日本に帰ってきてから、お姉ちゃんよりも更に高学歴な男性と結婚。誰もが知る有名企業に内定し、仕事がひと段落ついた現在は子育てに奮闘中です。
そんなお姉ちゃんが、私は大好きです。

そんな話をすると、誰もが「素敵なお姉ちゃんね」「賢いお姉ちゃんね」とありとあらゆる称賛の言葉を口にするのです。
その度に私は嬉しくって嬉しくって、なぜかすごく悲しくなるのです。

姉のようになれない自分を埋めるため、気付けば姉の自慢話をしていた

きっと私が1番欲しいのは、「そんなお姉ちゃんに負けないぐらいあなたも素敵よ」という言葉だと気づいたのは最近の話。

小学校でも中学校でもお姉ちゃんの妹であるがために、教師からは期待の眼差しを受け、必死に食らいついて勉強したものの、私はギリギリ進学校にあたる高校に進んだ。
運動会でも活躍できる方ではあったが、常に姉の作った大会記録が私の前に立ちはだかった。部活動では気の弱さが相まって常に2番手で、試合に応援に来た両親に毎度毎度申し訳なさを感じていた。
少しドロップアウトした結果、大学は中堅クラスの私立大学へ進学。
私も姉のようになりたいと真似をして始めたボランティアも、海を渡る勇気はなく、1泊程度でできるものが限界だった。
大学院進学予定で入った大学だったが、途中で進路を変えそのまま就職。唯一姉の真似をせずに進んだ道だったが、5年経たず辞めてしまった。
姉のようになりたいのに、いつも少し足りない自分がいて、その気持ちを埋めるように姉の自慢話をする。

姉と比べて足りない分だけ、劣等感は大きくなっていった

大好きな姉に憧れる反面、全てが少し足りない自分に自信が持てず、その足りない部分を誰かに褒めて欲しかったのだと思う。
「自慢のお姉ちゃんね」と語る両親の口から、「自慢の姉妹ね」と。
「お姉ちゃんの妹だから」という先生から、「あなたは優秀ね」と。
「優しいお姉ちゃんね」というみんなから、「あなたのこんなのところが好きだよ」と。
そんな言葉達を求めながら、姉を褒める言葉を自ら使い、さらに自分自身の劣等感を大きく大きくしていったのだ。

“人に認めてもらうよりも、自分で自分を認めてあげて”
よくこんな言葉を耳にするが、これは性格の問題上きっと一生出来ないだろう。
きっとこれからも「私のお姉ちゃんはね」と言って、誰かにまた姉の自慢話をするだろう。
そうしてまた姉に対する称賛の言葉を聞いては悲しくなって。
けれど、そのあと冗談っぽく「でも私も私で素敵な妹だけどね」と、重ねて言えるような自分になれたらいいな。
心からそう思う。