「あの子がつけてるのより、絶対可愛くみえるって!」
中学校3年生の帰り道、夕暮れとは別に背中には影の気配を感じた。耳の中から入って頭を駆けまわる、この声はよく知っている、あの3人組の声だ。そして確かにそのうちの1人が今日、この間母に買ってもらったばかりの、赤いノルディック柄のマフラーと全く同じものを巻いていたはずだった。
家は途中から別方向。それなのにあの声は、次の角を曲っても、家に帰ってもついて回ってきた。
「私のほうが似合ってる」。そう言えたなら、なんでも出てやったのに
父が亡くなってから数年、母の心労が祟っていくことに気づきながらも15歳の私には立ち止まることしか方法がなく、休み休みやっとの思いで通っていた学校。
行事ごとだけでも参加しなさいと言われ、毎回当日の朝まで気が滅入りながらも参加すれば、「普段の授業を受けずに楽しい行事だけ出るなんてずるいって皆言ってる」と、仲がいいはずの友達からは、二つ折りだった携帯に告げ口をするように送られてきたこともあった。
「私のほうが似合ってる」
そう思えたなら、振り返ってそう言えたなら、どんな言葉をかけられても授業だってなんだって出てやったのに。私がどんなマフラーも似合うような、可愛くて絶世の美少女だったら世界は違っていたのだろうか。
長かった髪に首元をうずめ、赤いマフラーは私と共に日の目を浴びることのないまま、春を迎えた。
あれだけ長く感じた中学を卒業して時が経ち、私は社会人になった。
オバケみたい、と言われた生まれつき青白い肌は、七難を隠すようになった。
のっぽ!と言われた高い背は、大人になってまわりを見てみればもっと高い人なんてざらにいた。
言葉以外の伝え方をたくさん知り、いろんな私とともに、生きてきた
それでもあの時の私にとってはすべてが敵だった。孤独だった。
高校生になり、吐き出せない言葉は文字にするようになった。メロディーをつければ歌になった。ギターに合わせれば曲になり、弾き語りは私の趣味になった。
それから、言葉以外の伝え方を私はたくさん知った。
見える世界を写真に残せばいいこと、見えないものは絵に描けること、日々微妙に変わる気分は服や髪形・メイク、ファッションとして表せること。
そして私に似合う色は、深いブルーだということも。
声を殺し、ひとり暗い布団のなかで一日中うずくまっていた私。
自分とは何か、生きるとは何か、人一倍考えてきた私。
あの頃自分の存在に意味を持てず、弱く、死を選ぶ勇気すらなかった私。
それでも自分のために生きられないのなら、人のために生きてみようと思った私。
人を知るためには、まず己を知ることが必要だと知った私。
そして人を愛するにはまず、自分を愛することだと気づいた私。
いろんな私とともに、私は生きてきた。
過去に自信を持てず、褒められることも慣れないけど私は可愛くなった
そして私は、可愛くなった。
私は明日、またひとつ年を取る。見返したい思いはずっとあったし、努力はしたけど、自分の奥底にある過去に自信は持てない。褒められることにも正直慣れない。でも誰かからそう言われたときには、「そうでしょう」と思えるのだ。
言っておくが、容姿で言えばモデルや女優になれるほどのものではない。むしろそんな中に並んだら……あの頃と似たような言葉をかけられてもおかしくはない。
あの頃つけていた赤いマフラーだって、余計肌が青白く見えて、まさにオバケ宛らだっただろうし、本当にあの子のほうが似合っていたのかもしれない(ま、今この時代でももうあの子たちのSNSすら知らないのだけれど)。
それでも私は可愛い。
今を生きる私は、ものすっっっごく可愛いのだ。