娘を産んだとき、とても小さな靴下を編んだ。とても履かせられるような作品ではなかったけれど、生まれてきてくれた我が子の足元に靴下を置いたとき思った。
まるで祖母が「出産おつかれさま」と肩をたたいてくれたようだと。
祖母が作ったロンパースにはどれだけの時間と愛がこもっているだろう
祖母は編み物上手だ。私が生まれたときには毛糸のロンパースを編み、さらに白いおくるみを編んだ。残念なことにおくるみはもう手元にないのだが、ロンパースは今私の家にある。実家からいただいてきたのだ。
ロンパースを撫でるたびに思う。ここに、どれだけの時間と愛がこもっているのだろうと。
編み物には、そのとき編んだ人の気持ちが込められている。ひと目ひと目に愛をこめて、丁寧に形を作っていく。
愛情いっぱいに包まれて、生まれたての私はこのロンパースの中で笑っていたのだろうか。
もうすっかり袖を通せなくなるほど大きくなった私は、当時の私を思ってフフフと笑う。
祖母は、私が小学生の頃もマフラーや帽子などさまざまな物を毛糸で編んでくれた。いつも緑色の長い缶を座椅子の横において、棒針でチクチク、火曜サスペンス劇場やドラマ「相棒」の再放送を見ながら編んでいた。
編み物の大変さが分かる今なら、祖母に形を変えてなんて言わないのに
ひとつ記憶に残っているものがある。白いスラブ糸で編まれた帽子とマフラーのセットだ。
最初帽子にはツバがついていたが、私は「ツバがないほうがかわいい」と思って、ツバを折り込んでかぶっていた。そんな様子を見て祖母が「そっちのほうがかわいいね」と、わざわざツバをとってくれたのだ。
自分が編み物をするようになって初めて知ったのだが、たった一段編むだけでもかなり時間がかかる。
手慣れていれば早いのかもしれない。しかし、あのとき帽子についていたツバはしっかり「芯」も入っていてかなり頑丈な作りだった。表だけではなく、裏地も編んであるのだ。
芯のサイズもしっかり測って、編み図を作って編んでくれたのだろう。今なら「ツバいらない」なんて言わないのに、あの頃の自分に「なんてこと言ってくれたんだ」と少しムカムカする。
私が20歳になったとき、祖母はもう編み物をしなくなっていた。代わりに病室のベッドで楽しそうに、折り紙を折っていた。手先の器用な祖母は、編み物以外にもいろいろできるんだなぁと感心した。
そのうち折り紙で額縁を作って、私の振り袖写真を病室に飾った。「赤い着物がよく似合ってるでしょう」と、ニコニコしながら看護師さんに伝えていたそうだ。今でも、その額縁は実家に飾ってある。
その年の9月に、祖母は亡くなった。
祖母みたいに、愛する人にぬくもりを届けたい。想いを込めて娘へ
それからしばらくして、私は妊娠する。祖母にひ孫を抱っこしてほしかったなと、当時は毎日思っていた。
ある日、母に呼ばれて実家の片づけをすることになった。祖父が「もういらないから」と、寂しさから逃げるように断捨離をし始めたのだ。
その中で、見覚えのある緑色の缶が出てきた。祖母の編み針が入った、あの缶だ。
「編み物、はじめてみようかな」
最初はほんの興味本位だった。祖母はどんな気持ちで、針を動かしていたのだろうと。
それは想像以上に大変だった。「簡単だろう」と思って編んでみたマフラーが、ちっとも長くならない。ハンカチみたいなサイズまで編んで「まだこれだけ?」と驚いた。もう何時間も編んでるのに。
でも私も、祖母みたいに、愛する人にぬくもりを届けたい。
そうして編んだのが、娘の小さな靴下だ。
大切な針で編んだ靴下を、私は娘にプレゼントする。そこに私の気持ちだけではなく、亡き祖母の想いも込められていると信じて。
今娘は7歳になった。私はまだ、編み物を続けている。祖母みたいに、愛を届けられる人になりたいから。