11月中旬の風は、Vネックの赤いセーターに薄いトレンチコートをまとっただけの私には冷たすぎた。
キャンパスバッグに化粧品と意味不明に筆箱を突っ込んで、彼と同棲していた品川の家を飛び出た。お酒のせいで記憶は確かではないが深夜2時ぐらいだった気がする。
なんとなく彼との関係が終わりに近づいていることは感じていた。
でもそれを認めたくなくって、現実から目を背けていた。
彼と一緒にいるためにあきらめたことが大きすぎたから。
彼といることが私の幸せだと信じてきたから。
もはや彼がいない私などこの世に存在することができないと思っていた。
“恋は盲目”。初めての彼氏が、私の世界の全てになっていた
私には初めての彼氏だった。
なんとなく危うく、目を離したらどっかに行ってしまいそうで
「私なら彼のことを全部受け入れられる」
なんて本気で思っていた。
“恋は盲目”とはうまくいったもので、本当に彼以外見えなかったし、彼が言っていることは全部正しいと信じて疑わなかった。
彼と一緒にいるために、決まっていたイギリスへの大学留学を蹴った。
彼と同棲するために就活をして正社員になった。
でも、そんな中で徐々に
「あれ?これって大丈夫なのかな」
「なんか違う気がする」
と思うことが増えていった。でもそんな“違和感“に蓋をして私は、彼の私への愛を信じていた。
いや、彼を信じてきた自分を信じようとしていたのだ。
「もう愛情がない」と言う彼と別れたくないとすがった私
同棲して5ヵ月が経ったある日、家で普通に夜ご飯を食べている時に彼から
「もう愛情がない。あるのは情だけだ」
と面と向かって言われた。
私は何も考えられなかった。ただ、
「一か月待ってほしい。それまでにあなたの気持ちが戻るように頑張るから」
と懇願した。彼は、
「わかった」
とだけ言ってまた普通にごはんを食べ始めた。
こたつは温かいはずなのに、胸のあたりがスーっと冷たくなっていくのが分かった。
今冷静になって考えるともうこの時に私たちの関係は終わっていたのだ。
よく、「女は潔く去るのが美しい」と言われるが、実際自分がその立場になったらそんなことはどうでもいい。
かっこ悪くてもいいから、美しくなくてもいいから、「私を愛してくれている彼」を引き留めたかったのだ。
実際そこにいるのはもはや私を女としてすら見ていない彼なのにもかかわらず。
バッグ片手に家を飛び出した深夜2時。でも、彼は追ってこなかった
その日は私の誕生日の次の日だった。
誕生日当日もおめでとうさえ言われなかった私は、彼が帰ってくるのが遅いのにイライラして一人でやけ酒をしていた。
彼が帰ってきて喧嘩した。たが、決定的に違うことがあった。
彼は私の目を見てくれなかったの
いつもと変わらない言い合いだっだ。
彼は彼に触れようとした私を突き放したのだ。
私はその時やっと悟ったのだ。
「本当に終わりにしたいのだ」と。
それに気づいた私はとっさに思った。
「もう、ここにはいられない。いてはいけない」と。
当たり前だが家を出た私を彼は追いかけてこなかった。
少し期待していた自分を心の中で「甘えるな」と一喝した。
駅前で捕まえたタクシーに乗り込み、実家がある千葉へ向かった。
偶然にもタクシーの運転手さんが女性で少し安心した。
深夜にバッグ一つ持った女が一人でタクシーに乗ってきて、片道2万円以上かかる千葉まで送ってくれとポそっと呟いたものだから、運転手さんは心配した口調で
「お姉さん、大丈夫なの?」
と声をかけてくれた。
その女性の優しい声を聴いた瞬間に涙がとめどなく溢れた。
きっと心ではとっくの昔から泣いていたのだろう。あまりにも自然に涙が流れたから。
タクシーの運転手さんは何も聞かずに、
「大変だったね」とだけ言ってくれた。
もしも今の私があの時の私に会えるなら…。伝えてあげたい言葉
今の私がもしあの時の私に会えるなら、
「私が私のことを愛してあげなくてごめんなさい」
と謝りたい。
当時の私は私を愛することを放棄していたのだ。
真実を突き付けられるのが怖くって自分の心の声に向き合わず、違和感に蓋をして見て見ぬふりをしたのだ。
一番大切にしてあげるべきだったのは、彼でも過去への意地でもなく自分自身だったのに。
とっくの昔から泣いていた私の心に寄り添ってあげるべきだった。
それでもきっと彼と別れる運命は変わらないだろう。
そしたら私はタクシーに乗って泣いている私の横に座って、
「今はとても辛いよね。この辛さが一瞬でなくなることはないの。
しばらくは彼を思って泣く夜が続くし、何度も同棲していた家に帰ろうとする。
あなたにそんな辛い思いをさせてごめんなさい。
でもね、あなたが私の声を聴いてくれたおかげで、私はとても素敵な人達と出会うの。
友人や家族の大切さに気付くことができるの。
今まで行ったことが無いところに行けるし、やりたいことができる。
だから私の心の声に従ってくれて、信じてくれて、ありがとう」
と声をかけたい。
そして温かいマフラーをかけて思いっきり抱きしめてあげるのだ。
「あなたのおかげで私は今私のことを心から愛することができているよ」
と伝えながら。