「出せなかった手紙」と聞いて、はっとした。
私には「出さなかった手紙」がある。
中学校3年生。
この多感な年に、私は悔やんでも悔やみきれない経験をした。それは、「いじめ」。
きっかけは、本当に些細なことだった。
「あの子、男子と喋る時だけ声のトーン違わん?」
女の子の世界で、よくあるきっかけである。
仲良い女の子7人組の中で、A子が、そのターゲットになった。
そこから始まった「いじめ」は、今思い出しただけでも、心がきゅっとなる。無視、仲間外れ等、暴力こそなかったものの、心にくる暴力のオンパレードだった。
いじめを謝るために、自分の気持ちを伝えられる方法として選んだ手紙
半年たって運動会が終わった頃、私の心はもやもやしていた。
「なんでA子をいじめてるんだっけ」
思い出せなくなり、なんとなくいじめていることに罪悪感を覚え、私自身が学校に行けなくなった。
そういう時に、ラジオから流れていた当時の「ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない」という番組が耳に入った。
ちょうどその回で、電話出演していた人の相談内容が「いじめられていて苦しい」という内容だった。
はっとした。
涙が止まらなくなった。
義家先生の
「いいか、今いじめている奴ら。耐えている子はお前の何倍も何十倍も強いんだ。それを忘れるな」
という言葉が、心に深く深く刺さった。
変わりたい、けど変わり方が分からない。
気がついた時には、携帯で番組にメールを送っていた。
「今いじめている子に謝りたい。どうしたらいいですか」
こんな稚拙なメールにも、義家先生は反応してくださった。
電話で義家先生と話し、「お前が自分の気持ちを伝えられる一番の方法を選べ」と言われた時、手紙にしようと思った。
まず、「話したいことがあるから、放課後教室に来て欲しい」の手紙。そして、「ごめんなさい」の気持ちを込めた手紙。
次の日、ロッカーに1通目の手紙を入れた。
謝罪の手紙を渡すか思い悩み、ポケットに仕舞った。よし。言うぞ
そして放課後。ベランダに隠れて待っていたら、A子が来た。
よし、手紙を渡すぞ。
そう思ってドアに手をかけた時。
「これでいいのか?」
少し悩んで、そっと手紙をポケットに仕舞った。
よし。言うぞ。
カラカラとドアを開けて入った私の顔を見て、A子は驚いた様子だった。
それもそのはず。
涙がぽろぽろこぼれていたから。
「ごめん……なさい……」
絞り出せた。A子にも届いたはず。
A子も顔を真っ赤にして泣いていた。
それから少しの間、私の思いの丈を話した。
どういう思いでいじめてしまったのか。
どういう思いで謝ろうと思ったのか。
そして。
許してもらえるとは思っていないということ。
A子も、沢山話をしてくれた。
悲しかったこと。
苦しかったこと。
謝られてどう思ったか。
すぐに許すことは出来ないということ。
それからA子とは卒業して別の道に進み、疎遠にはなったが、同窓会で再会した。
お互いにあの日のことを覚えていて、「顔を真っ赤にして泣いてたよね」と笑った。
手紙を渡さないでよかった。
手紙というものは、想いを伝えてくれるすごく便利なものだ。
それと同時に、逃げ道にもなるのかもしれない。
あの時手紙を渡していたら。
きっと後悔していたと思う。