私には謝りたい人が沢山いる。
その中でも謝りたいのは、幼馴染であり親友であるA子だ。
それについて何年か越しに謝ったことがあるが、「そんな事あったっけ?笑」と茶化された。笑ってたから、きっと覚えていたのだと思う。
きっと、その時すぐに謝ることができていればこんなに悔やまなかったかもしれないが、何百回でも謝りたいくらい引きずってしまっている。
「あいつと喋ったら次いじめるから」恐ろしい宣言にもA子は
小、中学生のとき私はいじめにあっていた。
図画工作で頑張って作った作品はボロボロで元の形がわからないほどに壊されたり、物がなくなっているなんてことは日常茶飯だった。今考えるとめちゃくちゃ怖いなと思うのは、書道の時間に文鎮で殴られたことだった。そのことを言った時、おばあちゃんが先生を家に呼びつけたのは、数少ない小学校の思い出(?)の中のひとつだ。笑
そんな毎日を送っていたら、初めは特定の人からいじめられていただけだったが、段々とクラス中からいじめられるようになった。
後から知ったが、最初に私をいじめてた子がクラスの子に「あいつと喋ったら次いじめるから」と言っていたらしい。
なんと子どもらしい!と今では笑えるがその時は本当に辛かった。
そんな中、どれだけ私が無視されようと話しかけてくれたのがA子だった。
A子がいじめられないように、私はA子を無視した
案の定、そのうちA子もいじめられるようになり、私はそれをみていられなかった。
子どもながらに私はA子がいじめられないためには……?と考えた。そこで出した答えが、「私がA子を無視すれば、A子へのいじめは終わるのでは?」というものだった。
次の日から私は学校で必要最低限以外、誰とも話さないことにした。もちろんA子のことも無視した。
A子が悲しそうな顔をしたのをなんとなく覚えている。
けれど、その作戦のおかげでA子へのいじめはなくなった。
私はそれでよかった。
けれど、何日かたったある日の夜実家にA子のお母さんから電話がかかってきた。
(A子家とは家族ぐるみで仲がいい)
これから「A子と家に行ってもいい?」という内容だった。何も知らない母は了承し、私はA子と久しぶりに話すことになった。
A子は「わたし何か嫌なことしたかな?ごめんね」とお花をくれた。
私はなんて最低なことをしたんだろうと涙が止まらなくて、「無視してごめんね。何も嫌なことされてないよ」とだけ謝った。理由は言えなかった。
学校に行けなかった時も、中学生になっても、そして今も
そのうち私は学校に行かなくなる。行かないというより、行けなくなった。
それでも毎日A子は連絡をくれた。
たまに学校に行くと、いつも隣にいてくれた。
とても嬉しかった。
中学校にあがると、私はA子の家に寄ってから学校に行くようになった。
そうしないと勇気が出なくて、学校には行けなかった。
たくさんたくさん助けてもらったのに、理由も言わないのもなぁとずっと頭の片隅にそのことがあった。
十何年越しに、その頃の話になった時に私は無視していた理由を話して、全力で謝った。
A子は笑って茶化したが、本当に本当に何百回謝っても気が済まない。
昔からA子は私よりずっとおとなだ。
同い年のはずなのにおとなだ。
私が逆の立場だったら、せっかく話しかけてるのになんで無視するんだ!!!と激怒していたと思う。笑
A子は困っているところや助けて欲しそうな素振りをあまり見せない。
でもそれに気づいた時は全力でサポートするようにしている。
いつもありがとう。
あの時遅くなったけど、謝ってよかったと思う。
昔も、今も、これからもよろしくね。